世界は舞台で、人は皆役者だ。それぞれに登場と退場がある。その時に合わせて色々な役を演じる。

イングランド劇作家ウィリアム・シェイクスピアのコトバ(劇「お気に召すまま」のセリフ)。

オーストリアのオペラ劇場
(画像:オーストリアのオペラ劇場)

ノーベル文学賞受賞者のジョージ・バーナード・ショーのコトバも興味深い。

人生とは自分を見つけることではない。
人生とは自分を創ることである。

と。

  • 「自分を見つけようと、人生を歩む人」は、多数か少数か? あなたはどちら側?
  • 「自分を創るために、人生を歩む人」は、多数か少数か? あなたはどちら側?
  • 「自分の役目を理解し、演じている人」は、多数か少数か? あなたはどちら側?

※この「自分」というのは、社会から孤立した「ありのままの自分」ではない。人間社会(ソーシャル)の一人としての「自己=アイデンティティ」であり、「ありのまま」と「あるがまま」を統一化した全人格的存在と考えている。

ただただ、ありきたりのマンネリ化した日々を送り、目前の快楽(享楽)を求め続け、自分を創ることさえも・・・しない。

(血族も含めた)他者が準備あるいは整備してくれる舞台で、依存的な脇役であるにも関わらず、主観的に、いかにも主人公のように振る舞っているだけの人生であること・・・さえも気づいていない、

侘しい人生を送るために、生かされている人が殆どなのかもしれない。

そんな舞台上で、一部・・・

「こんな人生でいいのだろうか・・・」と疑問を感じ、
自問・脱皮

「何か他にあるのではないだろうか・・・」と探し始め、
想像・蛹化

「へぇ~、あっちに自分に良さそうな道があるようだ・・・」と進み始める。
覚醒・羽化

そう。

これが「演出的進化」のはじまりです。

演出的進化は、人生という舞台での自分自身の役割を果たすために、自身への演出を実行することであり、今と未来を繋げるために、成長と発展を求めトライすることです。

独りでは生き抜けない殺伐とした世情に身を置く以上、他者との関わりの中で自分を(生かすではなく)活かしていくことになります。

人生に完成系はありません。満足したら思考停止になり、衰退に繋がります。

演出は一つではなく、かつ一つのみを押し付けることでは面白くありません。人の持っているものを引き出すために、常に今までと違うことに挑戦させます。

その中で、自分に合った役目が見つかった時、それを主として役を磨き始めるのです。

そのためには、脚本、いわゆるシナリオもある程度必要です。

人生には脚本はない」と言われていますが、自分で創ることは可能です。

それがミッション・ステートメントと言われるもの。プログラムとも言われています。(呼称は何でもいいかな?!)

それを他者が創るのではなく、自分に適したシナリオを創ります。途中で変更するのも自由、自分で行なえるのです。他者の演出ではなく、自分の演出で、自分の役目をこなしていきます。

自分の人生の主人公は、誰でもなく、自分です。主人公の最後(最終回)は自分で決めることができます。

どこで、誰と、どのように人生を終えるかは、自分次第です。

ヴィクター・フランクルは、次のように語っています。

そもそも、我々が人生の意味を問うてはいけません。
我々は人生に問われている立場であり、
我々が人生の答えを出さなければならないのです。

自分の人生の意味なんて、誰に聞いても答えは出ません。それはそうです。自分の人生の意味は、自分しかわからないのです。人生の最期に、その問いに答えることになるのです。「私の生きてきた意味は、○○だった」と。

人生は一度きりです。ですが、役は何度も変えることができます。

長渕剛氏のコトバでは、決断する勇気をもらえます。

人生は一度きりだから、
生まれ変わるなら生きているうちに。

今、どんな役をやりたいですか?

好きなシナリオを描いて下さい。そのシナリオを進めるにあたり、何が必要かを細かくプラン立てしてください。そして、今日すべきことを自分に命じます。自分で描いたシナリオに沿って、今日の役に徹します。

そう、あなたが演出したように。

そのようにして、人生を一つ一つ創り上げていくのです。

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