「心変われば、〜人生が変わる」のための活動とは?

心変われば態度が変わる。
態度が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。
運命が変われば人生が変わる。

有名人・著名人を含めて多くの方が、今回の格言・名言を活用しているのは事実です。
 ノーベル賞受賞者のマザーテレサも使っていますし、メジャーリーガーのイチロー元選手や松井元選手など、多くのアスリートも使っています。

ヒンズー教の教え(教典)とも言われている格言です。
 これに似たような格言が沢山ありますが、どれも人間界(社会)で生きていく上での心構えとして、よくまとめている格言なのではないでしょうか。
(※あるお方のブログ記事で、細かく書いておられます。ご参考に。)

「人生を変える」ためには?

今回、格言をもとに『人生が変わる』ことについて考えていきたいのですが、先ずはフロー図にしてみました。

心が変われば、態度が変わる。態度が変われば、行動が変わる。行動が変われば、習慣が変わる。習慣が変われば、人格が変わる。人格が変われば、運命が変わる。運命が変われば、人生が変わる。

心変われば〜』の後に『態度が変わる』がなく、『行動が変わる』になる格言もあります。“態度” と “行動” はニュアンスが違うのですが、同類にした? のかもしれません。

言えることは、「人生を変える為には、心を変えること」が、世界人共通の認識であることがうかがえます。

しかし、実際に行なおうとする場合、ふと立ち止まってしまうのです。それもスタートの時点で‥‥。

心が変われば』‥?‥???
『心』を『変える』……どうやって???

「心を変える」とは?

そもそも『心を変える』とはどういうことなのでしょう?

『心』について探求すると長ーーーーーくなりそうです。
 宗教家でもなく心理学者・脳科学者でもないため、ここで問答する予定もなく・・・『心』は一般の人たちに通用する概念を元にします。

※関心ある方は、「心身一元論と心身二元論」で調べてみると面白いです。

「改心する」「心を清める」などのような使い方は、普段の生活の中で使っていないでしょう。

突然、『そうだ! 明日から改心しよう』『そろそろ心でも入れ替えようかな!』みたいな発想で行なうことはない、と思うわけです。
 そんな簡単に変われるものなら、誰も苦労しないでしょうから‥‥。

事件・事故・天災・テロ・伝染病などの大きな外的刺激に遭遇すると、『天罰だ!』と受け止めたりする人は、「心を入れ替える」ことはあるでしょう。刑務所で刑期を終えた人が出所後「心を入れ替える」ことはあるはずです。あるいは、寝ている時にお釈迦様やイエス様が出てきて苦言‥‥みたいなことがあれば、「改心する」「心を清める」可能性はあるかもしれません。

では『心を変える』とはどういうことで、どうすれば変わるのでしょうか? 

「心=知性」を変える?

先ずは、「心」を「=知性」としている方がいますので、これを応用した場合、「知性を変える」と言い換えてみます。‥‥いかがでしょう?

「知性を変える」ことがキッカケとして、自身の善悪基準※の変更によって考えや行動が変わる、あるいは、判断ができる知識や情報がなかった、知っていてもどのように行動すれば良いのか分からなかった、などの状態から知識を得て行動変わる、ことはあるでしょう。
 つまり、「知性によって変わる」と言えます。このことは人のみならず、知性の高い動物でもあり得ることです。

※善悪とは犯罪基準ではなく、人間関係の良し悪し、良い習慣 or 悪い習慣、利他的 or 利己的と捉えると分かりやすいです。

新しい知識、情報、新たな教えなどによって、より良い方法、適切な方向を選択することができる、ということは事実ですが、知識を活かせず選択ができずにいる人は、行動に変化はないと言えます。

さらに、新しい知識、情報、新たな教えなどを得るための行動があったことを忘れてはなりません。意図的に得たのであれば、得ようとする行為の変化があったと言えます。意図的でなかったのであれば、「知性を変える」とは言い難いかもしれません。

「心=感情」を変える?

次に、「心」を「=感情」とする方の意見を使ってみます。

行動経済学や心理学などによると “感情”・“情念”・“欲求” などにより、人は「行動」するという説があります。
 そして、“感情” や “欲求” は人だけではなく、動物にもあります。

“感情”は、快楽と苦痛に大分類されており、「快楽獲得欲求」と「苦痛回避欲求」のための行動は、ビジネス界においても知られているところ。
 ですが、「感情を変える」「欲求を変える」という意味合いにすると‥‥一片的で、少々ムリがある気がします。

どちらかと言えば、「感情を抑える」「欲求を抑える」というパターンが多い気がしますので、「感情を変える」には俳優のような高度なテクニックが必要になるのかもしれません。

「心=気持ち」を変える?

では「心」を「=気持ち」とします。

“気持ち” を辞書で調べると『物事に接した時に生じる心の状態。気分。心に抱く感情や考え方』などと説明されていますから、“気持ち” は “感情” や “考え方” の一種であり、ある刺激に対する「反応」ということが分かります。

そして、その「反応」である “気持ち” は、「気持ちを切り替える」という表現があるように、自分の意思で変えることができるわけです。(本当に切り替わっているかどうかは別にして)
 そして「気持ちを切り替える」ことで行動が変わることは大いにしてあります。ただ、毎日毎日「気持ちを切り替える」ことは、何かストレスを感じるような気配もあるような‥‥。

「心を変える」前に

「改心する」「心を清める」「心を入れ替える」のような心の変化には、それ以前に何かしらの刺激があり、その影響を受けて起こるものと考えられるため、事件・事故・天災・テロ・伝染病などに意図的に遭遇することのない普段の生活の中で「心を変える」には、(「心」を “知性”・“感情”・“気持ち” などの総称としても、)前提要素(事前の因子)が介在していると言えます。

「心を変える」ための前提とは何か? ‥‥と考えてみました。

『変わりたい!』と願っていても「変われない人」と「変われる人」の違いのヒントにもなりそうです。

「心を変えるため」には

これについては個々人で違うかもしれませんが、私なりの結論(意見)です。

「心を変える」の前に「意識を変える」(下図)ということです。

意識変われば心が変わる

思想的に “意識” を「心」の概念に含める方もいるようです。含めてしまえば、「心を変える」=「意識を変える」は同類になるでしょう。ここでは、区別します。

“意識” については、複雑に考えず一般的に出てくる “意識” と位置付けます。
『もっと意識して見てて!』『意識を高めて頑張ろう!』の “意識” です。“意識” を、普段思い起こす「考え」と捉えてもいいかもしれません。

つまり、「意識(考え)を変える」ところから、その相互作用的に「心が変わる」のではないかと想定しています。そして、“態度や行動” を変えることでの自身や周囲の人たちの反応に対して思考(=“意味付け” や方法の見直し、調整、修正など)を巡らし、さらに “意識” や “心” に変化が生じていきます。

新たな事を始め出しても、「続けられる人」と「諦める人」の分岐点はこの辺りなのでしょう。

先に、意識を変えること

「意識(考え)を変える」と言っても、容易ではないことはわかっています。

例えば、長年喫煙・飲酒していた人が禁煙・禁酒するためには、喫煙・飲酒による快楽を退けるほどの意識の変化が必要でしょう。毎日会社から帰宅したら深夜までゲームをしている人が、ゲームの時間を制限し、読書や資格受験の勉強をしたりすることは、ゲーム依存から脱するほどの意識の変化が必要でしょう。

「意識(考え)を変える」ためには、内外からのインプットされた(認知的な)情報がキッカケになることが多いと感じます。(例外もあるため)人によって違いますが、例えば、

  • ある人と出会って(別れて)
  • 本を読んで
  • 美しい作品を観て
  • あのイベントに参加してみて
  • あのレストランで初めて食事して
  • アルバイト先で教えられて
  • 自分に子どもができて
  • 宝くじに当選して
  • 社長から直々に褒められて
  • 友人にバカにされて
  • 彼女・彼氏に振られて
  • 病気になり手術をして

‥‥など。

人には様々な出来事があります。
 意図的か偶発的かは関係なく、生きている限り出来事は数え切れないほど。その都度、インプット情報が紛れ込んできます。具体的に意識するためには、言語化・図式化・映像化などが脳内で表出する様々な情報が必要です。

スピリチュアル系の人なら、『無意識の中にあったモノが目覚めた!』のような表現をするかもしれません。スピリチュアル系に疎い私の自論としては、無意識のものを目覚めさせるというより、無意識(前意識)をバージョンアップあるいは矯正するという表現が、適していると考えます。

参 考

意識と無意識

意識と無意識の間で脳エネルギーが行ったり来たりしているのですが、無意識内にはこれまでの経験・習慣で育ったヒューリスティック、認知バイアスという、一種の個人偏見的な判断基準があります。これは、経験・習慣でなければ書き換え不能と言われていますので、「習慣が変わる」レベルまたは衝撃的な刺激がない無意識の矯正は出来ないと考えています。

インプット情報があったとしても、当然「意識(考え)」が変わらない人も大勢います。(こちらの方が多いでしょう)

変わらない人は、「心が変わらない」よって「行動も変わらない」です。(まっいいかぁ~)的な状態です。ダイエットや運動することを意識しても結局、行動しない人です。「意識を変える」ところまで進んでいないから、と言えます。

さらに、人は自分に興味のない情報、必要のない情報はインプットできません。『変わりたい』と思っていなければ、「変わる」ための情報はインプットされないし、情報があっても「変わる」ためのものとは気付きません。

そのあたりから、「意識を変える」必要があるのです。それも強い「意識」です。そうでなければ、(変わりたい!)と瞬間的に思っても、(私にはムリ!)というビリーフやバイアスが働き、「変わらない」を選択します。

これは、上図の「心」と「行動」の間にある「思考的存在」が変化を回避する判断をすることです。人が備え持つ「怠惰」によって「ラク(楽)を選ぶ」行為になります。

意識的に「変わる行動」をし、何度も何度も繰り返しながら、その行動による情報をインプットしながら、さらに「心」と「行動」の変化を助長していきます。

意識的な「変わる行動」が、無意識的な行動になることで、「習慣が変わる」わけです。

インプットされるべき自分にとって必要な情報を入手し、「心(感情)」を揺れ動かし、(このままでは良くない。変わらなければ。)(私はこのままでいいのだろうか?いや、いけない!)(この人のようになりたい!)・・・という状態を続けることで、成長(前進)し続けると言えます。

インプットする情報は、「自分の人生の質や仕事の成果を向上させるもの」でなければ、良い「意識(考え)」になりませんので、その選択や分別(取捨選択)する知識も不可欠になってきます。

「変わる」って大変だなぁ~

人間は弱い生き物です。

長続きするためには、それなりの覚悟と勇気が必要になります。ですから、「心が変わり、態度が変わり、行動が変わる」以降も行動による経験と試行錯誤による検証の繰り返しの中で、さらに意識を変えるような情報をまとめつつインプットし続けます。

それを継続していくことで、「習慣」となり、それが「人格」へと影響していくと考えられます。

並大抵な事ではないですよね。「人格を変える」わけですから、相当な時間とエネルギーが必要です。

ですから、人は「人格を変える」手間を省く為に、「思考と行動」を変えて、「成功」に繋げようとする、短期的な成果主義、個性主義のプロセスを選択するのです。

私たちの人格は、繰り返される習慣の結果として育成されるものである。習慣によって無意識のうちに生活のパターンが決められ、人格が育成され、そして生活そのものが効果的あるいは非効果的なものになってしまう。

スティーブン・R・コヴィー

今、何をすべきか

心が変われば、態度が変わる。態度が変われば、行動が変わる。行動が変われば、習慣が変わる。習慣が変われば、人格が変わる。人格が変われば、運命が変わる。運命が変われば、人生が変わる。

この格言が現代も尚生き続けているのは、本当は『変わりたい!』と願う人が多いからではないでしょうか。

もしかして、成果主義、個性主義、自我中心主義を主張する人への忠告なのかもしれません。

先ずは「意識を変える」こと。

事件や事故、病気などを待っているのではなく、今すぐできること‥‥

  • 知識を得ること
  • 時間の使い方を変えること
  • 環境を変えること
  • 人間関係を変えること
  • 師(メンターなど)を見つけること

‥‥などなど。

今の自分を変えるためには、今考えるべきことを考えることです。