「質の良い人○」の「質の悪い人○」の格差

『質の良い人生 or 質の悪い(=後悔する)人生』
『質の良い人道 or 質の悪い人道』
『質の良い人格 or 質の悪い人格』
『質の良い人間関係 or 質の悪い人間関係』

・・・あなたはどちらへ進んでいると思われますか?

この相反する質の違いが人生における格差を生じさせていると思いませんか!?

それを決定づける思考特性・行動特性‥‥その中で基本となる「選択」と「決断」。大切なテーマです。

皆さんは「選択」や「決断」について、深く考えたことはありますか?

これらは一くくりにして話される(「決断」を主とする)ことが多いのですが、あえて別々に考えていきたいと思います。「選択」はAorB、「決断」はYes or No であり、「選択」と「決断」はそもそも目的が違うからです。

習慣的な選択と決断

「選択と決断」は、時間をかけて悩むほどの重大な岐路のみならず、いくつもの些細な分岐点でも行なっています。

意識的、無意識的関係なく、一日何百回、何千回とも言われるほど(誰が数えたのかは知りませんが)多くの「選択と決断」行為をしながら、人は生活を送っています。

朝目が覚めた時から「選択と決断」を始めているのでしょう。

例えば、
・起きようか、もう少し寝ようか
・朝食は卵焼きにしようか、目玉焼きにしようか
・お茶にしようか、コーヒーにしようか
・ズボンにしようか、スカートにしようか
・シャツは白色にしようか、青色にしようか
・ネクタイはストライプにしようか、無地にしようか
・靴はハイヒールにしようか、パンプスにしようか
・靴の色は黒にしようか、ブラウンにしようか
・電車に乗ろうか、タクシーで行こうか
・ランチはコンビニにしようか、お店で食べようか
・仕事は資料作成から進めようか、メールチェックしようか
・お客さんのところに行こうか、電話で済ませようか(行くの嫌だなぁ~)
・報告しようか、やめておこうか
・あの人に声をかけようか、やめておこうか
・次の日曜にでかけようか、家にいようか
・仕事(会社)辞めようか、続けようか

‥‥‥‥色々な状況下で、何かしらの選択行為を行っています。

学生も社会人も多くの方は、日々同じようなことの繰り返しではないでしょうか。朝起きてから通学・通勤、授業や勤務、それらが終わってから帰宅、それから寝るまで、大して変化のない生活が予想できます。

『8割以上同じことを日々考えて(妄想して)生活している』と言う学者もいるようです。つまり、前記した選択事項を『毎日何考えてるかなんて、いちいち覚えてないよ!』、と思えるほど無意識の状態で「選択と決断」を行っていることになります。いわゆる“思考習慣”です。

習慣化による「選択と決断」の簡易化は、正しいのか、正しくないのか‥‥などと考えることも疑うこともなく、人は過ごし続けています。それが普段の生活パターンであり、悪く言えば、マンネリ化※した生き方になっていると言えます。

※マンネリ化・・・画一的な形式に則ることで目新しさや独自性を失う、または本来の意義が薄れることなどを意味する表現。マンネリに陥るなどとも言う。(出所:Weblio辞書)

自分で考えることが面倒臭くなっている人の中には、他の人に考えてもらう、教えてもらう、指示してもらう、やってもらう、ことさえも当たり前=依存的思考習慣”になっている人がいるのも事実です。

それとは反対に、目的的思考習慣”になっている方もいます。

例えば『余計なことにエネルギーを使いたくない!』という方。朝食もほとんど同じ。通勤服も同じ(=同種同色の服を複数所有している)。靴も同じ(=同種同色の靴を備えている)。通勤経路も同じ。電車の車両も場所も同じ。
‥‥生活行為の「選択と決断」を省くという効率的な「選択」を実行し習慣化することで、重要なことに思考エネルギーを注力するスタイルの方です。自身の活動目的が明確で、『無駄なことに時間を費やしたくない』という思考特性は、一般の人とは少し違う習慣を身につけていることが多いようです。

選択と決断による結果

人の行なう「選択と決断」の後に、何かしらの“結果”が必ず生じます。どんなことを習慣化させたのか、どんなマンネリ的生活を選択したのか、それに対する“結果”(成果)へと繋がっていくわけです。

質の良い人生」であるという“結果”(成果)は、「質の良い選択や決断」をしているということ。

質の悪い人生」という“結果”(成果)は、「質の悪い選択や決断」をしているということ、と言えます。
「質の悪い人生」とは、後悔すること(反省・内省は省く)、誰かのせい(責任転嫁)にしていること、と捉えています。

質の悪い人生の要因

生活していく上での「選択と決断」によって最終的に“後悔する人生”を送っている可能性もあるかも‥‥という将来の“悪い結果”を想像したくないため、未来の結果を思考から外す「今さえ楽しければいい」という選択をしている人もいるでしょう。

“結果”に対して後悔する人、責任転嫁する人は、事前の「選択と決断」が間違っていたことが要因です。

親のせい。
兄弟のせい。
祖父母のせい。
会社のせい。
上司のせい。
先輩のせい。
彼氏・彼女のせい。
先生のせい。
友人のせい。
産まれた家系のせい。
故郷のせい。
学校のせい。
教育のせい。
社会のせい。
経済のせい。
政治のせい。
国のせい。
運のせい。

これが口癖であったり日頃の考え方であったりする場合は、「質の悪い人生」と言えます。

依存的な「選択と決断」をする習慣のある人は、結果に対する責任を自分以外に押し付ける傾向があります。

依存的な「選択と決断」とは、
・この人に言われたから
・あの人に勧められたから
・他の人もやっているから
・皆がやっていることだから
・これが普通だと思ってたから、など。

「選択と決断」する時点で志向、信念、目的、価値観、自己概念など、自らのコアとなるものが明確になっていないことが、「選択と決断」を自分以外の基準で判定したり、他人の意思にしがみついたりする状態を作り上げています。それなのに、思わしくない“結果”に対して自分以外の何かに責任を背負わせる悪い癖もあります。

質の悪い人生の要因は、自らの「選択と決断」が他人任せであり、“結果”に無責任であることです。

質の良い選択と決断

キッカケは周囲からであっても自身が行なった「選択と決断」による“結果”に対して、責任を負い、次の行動に移せることが大切です。

選択肢がない時は、選択肢となるものを自ら探して調べて、よりベストの選択を行ないます。決断に踏み切れない時は、さらに情報など判定材料を仕入れて、目的に沿って決断します。

「選択」はAorB、「決断」はYes or No です。AorBがあっても「決断」ができない時は、目的を明確にすることが重要です。

自立・自律した「選択と決断」をすることができるのか、がポイントになります。“良い結果”に近づけるように、どう行動(活動)してきたかということです。それによって捉え方に違いが生じます。

例えば、
毎晩一時間の使い方として、読書(漫画ではない)する人とゲームする人では大きく知識の差が生じます。
毎日運動する人としない人の身体能力に差が生じます。
人とのコミュニケーションを頻繁にとる人と避ける人の人脈には差が生じます。
毎日の食事、入浴、歯磨き、睡眠などの生活習慣だけでも差が生じます。

「必死に生きる」

というコトバを聞いたことありますか?

これを漢字で見ると、「必死=必ず死ぬ」です。

『人は必ず死ぬんだから、それを前提として生きよう!』ということでしょうか。中には『どうせなら、楽しくのんびりやろうぜ!』という人もいるかもしれまさん。

「必死に生きる」‥‥人は、どんな覚悟で生きているのでしょうか。

「必死に生きる」とは生死を絡めて言うことではなく、活きた人生を歩むか、死んだような人生を歩むか、と考えて見た方が良さそうです。

では、自分にとって質の良い活きた人生を歩むためには、どんな「選択と決断」をすればよいのでしょうか!?