アイデンティティは可変的、非論理的、非現実的である

アイデンティティについては、コーポレート・アイデンティティ*(Corporate Identity)のように会社規模でも使われている言語です。が、当方では基本個人レベルにおけるアイデンティティとしてお話をしています。
今回はマインドチェンジまたはパラダイムシフトのために必要な要素(かもしれない)と考え、記事にしました。

「アイデンティティ」は、心理学者エリク・H・エリクソン*が提唱したものです。

ただ、相当奥の深い内容であり、解説も困難です。

心理学者ではない私がコーチングとして語れるのは、私釈としての範疇です。ご了承ください。

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アイデンティティとは

自己認識」とも言われていますが、全ての人が共通認識できる解説された定義はないように感じます。

辞書引きすれば「同一性」とあります。

自己同一性=セルフ・アイデンティティ

自我同一性=エゴ・アイデンティティ

このように分類できますが記事が長くなるので、ここは一括りで・・・。

世間の狭義的解釈(または誤解)では、“主体性” “自己” “自分らしさ”などと簡潔にされてしまっている現状もあります。

しかし、それでは「アイデンティティ」(のワード)を使う意味がなくなります。そんな簡単な日本語翻訳ではない、と捉えています。

「アイデンティティ」は、「自分の使命・役割」を示すためにも欠かせない概念です。

簡単に言うと(言ってはいけないのでしょうけど)

「自分は何者なのか?」

などを

自分自身または他者に、どのように説明するのか

ということです。

そして、

それは時、場所によって説明が変わるもの」であり、

変わっても「自分が何者か」を説明するもの」です。

アイデンティティとは、人が時や場面を越えて一個の人格として存在し、自己を自己として確信する自我の統一を持っていること

と定義されていることに該当します。

例えば・・・

自己紹介、あるいは他者が自分を紹介してくれる、と想定して「自分は何者?」を説明してみてください。

自己紹介,自分は何者か

  • 中学生の時に
  • 20歳(成人式など)の時に
  • 新社会人となった時に
  • 仕事でお客様に伝える時
  • 結婚式の時
  • 子供の学校行事やパパママのお付き合いの時
  • 定年した後、パートで働く時

「僕は、○○町○丁目に住んでいる□□です。」

「私は、アニメを描くことが好きな○○です。」

「私は、◇◇中学2年の○○です。
吹奏楽部で〜をしています。」

「僕は、八百屋の三男坊です。」

「俺は、高校中退してミュージシャンを
目指している○○です。」

「私は、△▲大学2年生の○○です。」

「私は、俳優を目指して上京してきた○○です。」

「僕は、△▲大学◇◆学部を卒業した○○です。」

「私は、希望の部署に入れなかった○○です。」

「田舎から来ました。右も左も分からない○○です。」

「特技は、〜〜を誰よりも早くできることです。」

「私は、●●●会社営業部の○○です。」

「(他者から)彼は、おっちょこちょいですが、
思いやりのあるイイ青年です。」

「(他者から)彼女は、どんな時も朗らかで、
周りに明るさを提供してくれる女性です。」

「○○(子供の名前)の父(母)です。」

「○○(夫または妻の名前)の妻(夫)の○○です。」

「3男4女の父親(母親)です。」

「■■県出身、◇◇県在住の○○です。」

「前職●●●会社に43年勤めていました○○です。」

「●●●会社の専務をしていました○○です。」

・・・・などなど。

イメージできますか?

年齢を負う毎に、経験・教育を積む毎に、場面が変わる毎に、伝える相手が変わる毎に、「私が何者なのか」の説明は変わっていきます。

しかし、「自分は自分」という事実は変わりません。

(↑ ここ大事です)

一個の人格として存在」しています。

アイデンティティは年齢などで変化するが自分は自分である

そして、他者から紹介してもらう自身のこと、あるいは褒めてもらうこと、注意されること、他者から見える自身の欠点・短所も自分のことです。

それを受け入れたことにより「自我の統一」となります。(そこにギャップが生じている場合もありますが)

これらが「アイデンティティ」です。

誤解がないようにしたいのが、アイデンティティとなるものが「正しい」か「正しくない」か、「事実」か「事実でない」のか、「必要」なものか「不必要」なのか、は別物だということです。

それは何故か?

「アイデンティティ」はその都度変化する故に、不完全なものである、と言えるからです。

何に“フォーカス”しているかで変わるものであり、その日の都合で変わるものであり、人との出会いで変わるものであり、読んだ本によって変わるものだからです。

完全である必要がないのです。

フォーカスとは、“焦点”という意味合いですが、どこに焦点を当てているのか、拘っているか、それだけで人生の中での見える景色は変わりますし、見え方も変わります。

よって、「アイデンティティ」も変わるのです。

例えば、

  • 会社の規模に拘る人
  • 会社ブランドに拘る人
  • 収入の額に拘る人
  • 役職に拘る人
  • 学歴に拘る人
  • 配偶者に拘る人
  • 住む場所に拘る人
  • ファッションに拘る人
  • 見た目に拘る人
  • 食事に拘る人
  • 家庭環境に拘る人
  • 友人の人数に拘る人

もっと大雑把に言うと、

・未来の自分にフォーカスしている人、

・過去の自分にフォーカスしている人、

これだけでも大きな違いが生じてきます。

アイデンティティはフォーカスで違う

これは、ニューロ・ロジカル・レベルという概念、あるいは、コヴィー氏の「7つの習慣」にある「主体性と反応性、影響と関心の輪」にも関わることなのです。

「アイデンティティ」の変化は、人生を大きく左右するもの、と捉えることができます。

アイデンティティを知ることで、自分に自信がない人、何をやっても続かない人、自分自身が嫌いな人、何をやりたいのか分からない人、自分の存在意義に疑問を抱いている人、今の自分を打破したい人、ブランディングに悩んでいる人、起業したが不調である人・・・など、このような方は、そこから脱出するヒントになります。

常に「アイデンティティ」は可変的であり、時に非論理的であり、非現実的である場合もある、とお考え下さい。

ところで、

「アイデンティティ 」をテーマ(?)にした有名な映画がありますが、ご覧になったことありますか?