アイデンティティと信頼関係

『何のために生きてるんだろう?』
 『なぜここにいるんだろうか?』
 『私って居てもいいのかなぁ?』
 みたいな自問※をしていないでしょうか?

※いわゆる「アイデンティティ・クライシス(Identity Crisis」の状態かもしれません。

アイデンティティ,クライシス,自分は何者か

順調な日々を過ごしている人にとっては、それほど深く考えることのない「アイデンティティ」についてです。
 幸福感、充実感、自己肯定感などがあることで、アイデンティティ形成は安定していると思われます。

反対に、不幸感、不満感、自己否定感、孤独感、空虚感など心理面で落ち込んでいる人は、無意識的に「アイデンティティ」に繋がることを考えている可能性は高いと思われます。

今回は、マインドチェンジ(またはパラダイムシフト)のためのヒントとして、個人のアイデンティティ(Identity)をテーマにしようと試みましたが、情報が膨大であることに苦慮し、学べば学ぶほど難解であるため、表層的なところの私釈ではありますが記事にしてみました。

アイデンティティとは

「アイデンティティ」については心理学者エリク・H・エリクソン*が有名で、日本では「自我同一性」「自己同一性」と称されています。

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エリク・H・エリクソン

内的な斉一性と連続性を維持しようとする個人の能力と、他者に対する自己の意味の斉一性、連続性とに一致する経験から生じる自信

(Erikson.1950)

と定義しています。日本語版Wikipediaでは

※「アイデンティティ」とは・・・

自己と同一化している要素の事である。国語等で扱われるアイデンティティの喪失とは、その要素が無くなることである。また、さまざまな立場における自分自身の在り方について、「これがほかならぬ自分なのだ」というまとまりをもった確信のことである。

(出所:Wikipediaより)

※「自己同一性」(英: identity)とは・・・

心理学(発達心理学)や社会学において、「自分は何者なのか」という概念をさす。(中略) 当初は「自我同一性」(じがどういつせい、英: ego Identity)と言われていたが、後に「自己同一性」とも言われるようになった。

(出所:Wikipediaより)

アイデンティティについては、コーポレート・アイデンティティCorporate Identity)のように会社規模でも使われていたり、ナショナル・アイデンティティ(National Identity)のように国民意識レベルでも使われるワードです。

アイデンティティは、概念、意識、イメージとして使われている感が伺えます。さらにエリクソンは、アイデンティティを一種の「感覚=Sense」として表現しています。

アイデンティティについて世間の狭義的解釈(または誤解)では、主体性、個性、自分らしさなどと簡潔にされてしまっている現状もありますが、それならアイデンティティというワードを使う必要性はないでしょう。

アイデンティティを「自己認識・自己概念」とする場合もあるようです。自己認識は自分に対する内観能力(自分を客観的に観察して気づきを得る能力)の一つとされていますが、アイデンティティは能力の一つなのでしょうか。

アイデンティティの概念

日本で使われている「自己同一性」をわかりやすい例えで言うと、
「“私は子供の時から食べ物の好き嫌いが激しい” ことを自分で知っている」ことと「“私が子供の時から食べ物の好き嫌いが激しい” ことを友人は理解していることを私は知っている」ことの両方に整合性がある場合を指しています。つまり、自分と友人で自分に関する情報が一致していることを把握していることになります。(これは、パーソナル・アイデンティティに該当すると捉えました。)

もし、「食べ物の好き嫌いは普通」と思っている私に対して、友人から「あなたは食べ物の好き嫌いが激しい」と言われたことに「そんなことはない」と否定すれば、同一性は失せます。その他についても私と友人との間で同一性がなくなると、「彼は私のことを理解してくれない。もう友達ではない。」と結論づけることさえもあります。

例えば

ディズニー・アニメーション映画「アナと雪の女王」のエルサが、城を出て雪山に篭もった時のアイデンティティではなく、アナとの愛情を知り街の人たちに受け入れられた時のアイデンティティが、ここでの同一性という概念に適するのではないでしょうか。

「自己同一性」のポイントは、自分(対自関係)と他者(対他関係)の関係性によるものと言えます。

別の身近な事例を取り上げてみます。
 人に付与されるID(=身元保証書)は、Identity Document (アイデンティティ・ドキュメント)の略称です。

例えば

運転免許証やパスポートなどはその使用目的以外に、金融機関、郵便局、宅配業者、賃貸業者、資格取得時などで自らを明らかにすると共に、相手もそれを信用し承認することを可能としています。さらに、(認めている国内外であれば)どこでも通用し、証明物の有効期限はあるものの更新すれば何年も活かせます。

つまりIDは、色々な空間(場)で、どんな時間(時)でも身元を保証してくれます。

名前や住所などの個人情報をベースに身元を明らかにするのも事実ですが、行政機関等(他者)を通じて発行されたIDが自分自身の存在の事実を承認し、「自分である」という情報の一致を証明するものになります。

人のアイデンティティは物質ではなく意識の観念範疇ですが、事例のID=身元保証書と同じように、自分が自分を認めていることと、相手が自分を認めてくれること、相手が認めてくれることを自分で受け入れたことで、アイデンティティの意味が見えてきます

時間と空間を超えたアイデンティティ

自我アイデンティティの感覚とは、内的な斉一性と連続性を維持しようとする個人の能力と、他者に対する自己の意味の斉一性、連続性とに一致する経験から生じる自信のことである

(Erikson.1950)

エリクソンが斉一性sameness )を『空間』的次元と表現したことを踏まえ、自分を主体として自分以外の他者もいる『空間』と考えることができます。(*sameness は、同一性、統一性と訳されていることもある。)
 例えば、家族との空間、友人との空間、学校や会社での空間、あるいは電話で会話する恋人との空間など。
 同時期に色々な空間で自分の役割を演出していますが、どの空間であっても「自分は同じ自分である」という感覚が、斉一性と言えるわけです。

アイデンティティ研究者で心理学者の鑪幹八郎氏(たたらみきはちろう・京都文教大学名誉教授)は次のように語っています。

他者の特徴の中に自分が埋没しない何ものかを自分の中にもち、またそれを経験的に確信していること

(出所:鑪幹八郎氏「アイデンティティとライフサイクル論」)

つまり、『空間』での中心は常に “自律的な自分” ということです。

継続性continuity)とは『時間』の経過を意味としています。『時間』は、生まれてから死までの間で生きる自らの存在です

乳児期、幼児前期・後期、児童期、青年期、成人期、壮年期、高齢期の漸成的発達段階をエリクソンが提唱したことにも繋がるのですが、成長する過程で多くの人と関わり合い、色々なことを経験し、受容と葛藤を繰り返しながらも、そこには “自分である” という意識は基本的に変わりません。
 例えば、児童期の “自分” と成人期の “自分” と比べれば、身体・精神・知識・能力など全ての要素で比較しても別人のようです。ですが、たった一人の “自分である” 事実、児童期の “自分” がいるから成人期の “自分” がいる事実があります。これらを理解し受け入れることで、人生において “自分である” という感覚をもち続けます。

「アイデンティティ」とは、人が時や場面を越えて一個の人格として存在し、自己を自己として確信する自我の統一を持っていること

と心理学・精神学で定義されているように、『空間』と『時間』を超えて “自分はいつまでも自分である” という自信・確信持っていることがわかります。

鑪幹八郎(たたらみきはちろう)氏の言葉を借りれば、『自分は他人と違った自分である』です。俗に言う「自分らしさ」「個性」なども一つの捉え方なのでしょう。

「自分は何者なのか?」

自分は何者なのか?」を自問自答した時、どんな答えが出てくるでしょうか?

「唯一の存在」、つまり唯一無二であるはずの自分を証明するにあたって、「自分は何者なのか?」の答えが、ただの名前や身体的特徴、国籍・出身地や家系、好みのファッション・趣味、仕事内容・役職などといった表象的なことになってしまうことが多いでしょう。

例えば、人生における色々なシュチュエーションを想定しながら、自己紹介的に “自分” を把握してみてください。

自己紹介,自分は何者か
  • 小学校に入学した時に
  • 中学の部活生の時に
  • 20歳の(成人を迎えた)時に
  • 新社会人として就職した時に
  • 仕事でお客様に挨拶する時に
  • 趣味コミュニティーに参加した時に
  • 婚約した相手の両親に挨拶する時に
  • 子供の行事やパパママの付き合いの時に
  • 定年後に別の職場で働く時に

などに関する答えは、自分の持つ情報を編集し、その場面と相手に適するように発することになります。

ケネス・R・フーバー氏(Kenneth R. Hoover)たちは、『自分とは誰か? と他者から問われた際の答え』として3分類していました。

  • コンピテンシー(職業・役割・スキルなど)に関わる答え
  • コミュニティ(所在地・グループ・団体など)に関わる答え
  • 関係性(誰と繋がっているか・相互関係など)に関する答え

これら以外の答えもありますが、年齢を負う毎に、経験・知識を積む毎に、場面毎に、対象の相手毎に、「自分が何者か」の答えは変わっていくはずです。ただ、

自分は自分」という本質があります。
   (↑ ここ、大事です)

つまり時、場所によって「自分が何者か」の解説が変わるもの」ですが、それらが「変わっても本質の「自分が何者か」を自覚できるもの」がアイデンティティの基軸(もしくは自分軸)と考えています。

場面や相手によって変わるペルソナ的な自分をコントロールしているのが、基軸となる「自分は自分」というアイデンティティを備えた自分です。(これは、自我アイデンティティに該当すると捉えています。)

社会・他者と繋がる自分

生まれてから今日に至るまでの経験や学習により、記憶・知識・能力・技術・思考特性・行動特性・精神・信条・価値観・人格など育まれた情報・内容は、個人特有のものであり、まさしく他人と区別できる唯一無二の証として、“自分自身” は今ここに存在しています。
 物質的のみならず精神的なものも含めた “存在” であり、また他者の存在があってこその自らの “存在” を明確にするものです。

もし無人島で、独りで何十年も過ごしていれば、ここで語るアイデンティティ概念は別物になるはずです。
 他者を人ではなく、神や先祖などを対象としている人達のアイデンティティは、まさしく概念的、感覚的と言えます。

結論として、アイデンティティの形成に欠かせないのは、社会・他者との繋がりということがわかりました。この社会・他者とは、家族、地域、学校、組織など、自身が直接関与または属する準拠集団、コミュニティと捉えています。

空間と時間を超えて、自分自身と他者の間で繋がる意識観念をもとに「私は今ここに存在している」「私は生きてていいんだ!」という感覚を持つことが大切だと感じています。

アイデンティティ形成と7つの習慣

スティーブン・R・コヴィー氏の7つの習慣は有名ですが、その中に「主体性モデル」というものがあります。この「主体性モデル」とアイデンティティは少なからず関与していると考えました。

7つの習慣では、刺激と反応の理論について、主体的なタイプの方と反応的なタイプの方がいるとしています。

前者を「主体性モデル」と称し、刺激と反応の間に “選択の自由” があるというもの。後者は反応性モデルと称し、刺激と反応の間にスペースがない状況としています。

アイデンティティ形成と7つの習慣,主体性と反応性
イメージ図
アイデンティティ形成と7つの習慣,主体性と反応性

人は刺激(五感からの情報)に対して、反応(感情・情動・行動・思考など)します。同じ出来事(刺激)でも人によって反応が違ったりします。

例えば

飲食店で注文したコーヒーを店員がこぼし服を汚された時に、怒りの感情を怒鳴るなどの言動(つまり、怒鳴る以外の選択肢がないストレス発散の処置)で意思表示する人がいます。こちらは反応的な方です。怒りっぽい人、感情的な人が該当します。
 主体的な方は、もし怒りの感情が湧き出ても(怒りではなく驚きの感情であっても)、冷静な判断や言動(つまり、怒りの抑制や許すなどの選択をする自己解決の処理)で示すことができます。

選択の自由” には、自覚、自由意志、想像力、良心の4つの性質があるとされていますが、これらの性質にアイデンティティが関与し、“反応” を左右しているのではないかと想定することができます
 さらに、自覚、意志、想像力、良心の4つの性質を磨くことで、アイデンティティの形成に良い影響があるとも考えています。

“自覚” には、自分に対する客観的な観察や分析、受容などが必要です。“自由意志” には、他者への依存や束縛がない状態で、自らの自律的な決断や行動が必要になります。“想像力” には、自らの言動によって生じる結果などを予想したり、未来をイメージしたりすことが必要です。“良心” は、善悪の判別ができ、正しい理論と原則を身につけている必要があります。

アイデンティティと信頼関係

アイデンティティの形成に関わることとして、経験・体験や知識、環境、人間関係などがあることがわかりましたが、大切なことは他者との関係性(相互関係性)です。

他者から「認められている」「愛されている」「理解してもらっている」などの感覚を受け、自分が自身に対する自信・確信・信頼を持つことが重要と考えます。そのために、他者を「信じる」「認める」「愛する」「理解する」などの意識は大切なことです。

アイデンティティは、記憶され予想される知覚やイメージから構成される内的集合が存在し、その知覚やイメージは親しく、かつ予測できる事物や人という外的集合と緊密な相互関係にあるという認識に依存する

(Erikson.1950)

つまり、互いの信頼関係と親密性はアイデンティティ形成を大きく左右します

例えば

幼少期に母親・父親やおじいちゃん・おばあちゃん、お兄ちゃん・お姉ちゃんに愛されて尽くされて、継続的に良好な関係性の場合、アイデンティティは愛情・思いやり・親切・優しさなどを感じさせるものになっていることでしょう。
 ところが、その家族が社会的制裁を受けるような事件・事故を起こすと、一気にアイデンティティの基盤が崩れることもあります。

家族や近所、学校の同級生などは自分の努力で選べないのが現状ですが、友達や仲間・チームのような準拠集団は選ぶことができます。信頼性と親密性を深めていくことで、アイデンティティは変化をもたらします。

そして形成されたアイデンティティにより、人の行動・思考に反映され、人生に大きく関わってくるというわけです。

This sense of identity provides the ability to experience one’s self as something that has continuity and sameness, and to act accordingly.

(Erikson.1963)

成長過程における「アイデンティティ」は、可変的であり、時には勝手な思い込みにより非論理的になり、孤独感から非現実的になる場合もある、と考えています。

アイデンティティ形成について知ることで、自分に自信がない人、何をやっても続かない人、自分自身が嫌いな人、何をやりたいのか分からない人、自分の存在意義に疑問を抱いている人、今の自分を打破したい人、人生を変えていきたい人、仕事を楽しんでいきたい人・・・など、このような方は、そこから脱出するヒントになります。

ところで、

「アイデンティティ 」をテーマ(?)にした有名な映画がありますが、ご覧になったことありますか?