逸脱するには?〜マインドチェンジ〜

・・・人は、生活の中のいくつもの場面で “行動の選択” を行っています
 “行動しない人”であっても、慣習的な行動をしているはずです。

(自分自身を変えたい!)と思い「行動する人」と、(自分自身を変えるつもりはない!)と、従来通りに「行動する人」がいます
さらに個人が日々を過ごす過程で『(変えるなら、今だ!)』『(今は変えるつもりはない!、けど来年には)』と「行動する時期」を“選択”する人がいると考えることができます。
生きている以上、人は必ず何かしら行動しているという前提をもとに、“行動の選択” の要素について考えてみました。

一般的には、個人的因子と社会的因子の両方が介在していることは知られているところです。
今回は “社会的因子” について触れる中で、“逸脱” 的行為にフォーカスしています。
 それに繋がる専門的な理論、社会的絆=「ソーシャル・ボンド」と個人の関わり合い方は重要な事項だと感じているからです。

“逸脱”行為を選択する人たち

まず「ボンド理論」(=<統制理論)について簡単に共有しましょう。

※このボンドではありません。

木工用ボンド,コニシ株式会社
(画像:コニシ株式会社様の商品)

ボンド理論

この理論は、アメリカ社会学者ハーシ(Travis Hirschi.1935-2017)による逸脱的社会学の考え方の一つで、社会統制理論(social control theory)の代表的なものです。

「なぜ、逸脱するのか?」(緊張理論)という観点ではなく、

なぜ人は逸脱しないのか?

という逆の問いから理論づけされたものです。
簡潔に言えば、『人は潜在的に逸脱可能性を秘めており、あるキッカケで逸脱行動を起こす』ということです。

(訳)
『逸脱を当然のこととし、同調こそが説明されるべき事柄だとするのである。』

ソーシャル・ボンド

ここでソーシャル・ボンドを活用する意図は、金融経済の社会貢献債(Social impact bond)のことや犯罪心理面のことを語りたいわけではありません。また、社会のあり方についての提言でもありません。
一般的に、個人に対する社会支援という意味付けが強そうな印象もあり、事実人が“逸脱”する要因となる社会のあり方を主として語られています。が、ここでは単純に、個人と社会の関わり合いについてです。個人では変えられない対象である社会=全体より、変えられる個人としての視点で解釈していきます。

“同調”している時は“逸脱していない”、“非同調”の際は“逸脱している”と見なされているわけですが、“同調”“非同調”する対象というのは、他者・社会です。

ハーシの理論によればソーシャル・ボンド」(=社会的絆)があることで統制力・抑制力(自尊心)が働き “逸脱しない”、ということ。つまり、“同調している”パターンです

その「ボンド」=絆というのは、次の4つとされています。(参考:日本大百科辞書抜粋)

  • 他者への愛着(attachment)
  • 目標達成のために個人が積み重ねてきた投資(commitment)
  • 慣習的活動に巻き込まれていること(involvement)
  • 規範や道徳への信念(belief)

これらが薄れる(崩れる)ことで、“逸脱”しやすいというわけです。つまり、

人の“行動の選択”の裏側には、これらの「ボンド」=絆が関与していると言えます。(自分を変えたい!)or(特に変える必要はない!)のどちらのタイプの人であっても、絆との強弱さが人生における様々な岐路で進む道を決めているわけです。

“逸脱する”のか、“逸脱しない”のか、決めるのは社会ではなく個人である、と言えます。

ただ、人は “逸脱” することに対する周囲の目を意識し、不安を先立たせてしまうことが多々あるため、ストレスなどをため込んでしまうこともあります。

 

“逸脱”することはイメージ的に悪い感がありますが、それでは、“逸脱”とはそもそも悪いことなのでしょうか?

 

逸脱行為は悪いことなのか?

  • “逸脱“しないことは正しいのか?
  • “逸脱”とはそもそも悪行なのか?
  • “逸脱”はマイノリティ側なのか?

※「逸脱」とは・・・

本筋や決められた枠から外れること。

(出所:goo辞書より)

※「逸脱」とは・・・

逸脱(英: deviance)は、平均的な基準からの偏向の総称のこと。一般には、単に統計的な意味で出現頻度のごく少ないという意味にとどまらず、その上に「ルールから外れた望ましくない」という道徳的裁定が込められる。

(出所:Wikipediaより)

例えば、
制限時速40キロの車道で、多くの自動車が時速60キロで走行している現実があります。この車道を40キロで走行すると、時に煽られたり、クラクションを鳴らされたり、追い越されたりすることもあります。昨今はドライブレコーダーの普及により煽り運転は減りましたが、以前は頻繁にありました。
このような場合、時速40キロ走行の少数派と時速60キロ走行の多数派では、どちらが“逸脱している”ことになるのでしょうか?

どちらが正しいのか? という判定は(法的処分を省くと)制限速度を守る車両のほうが車道の流れを妨げる『迷惑行為』とする感が、世間的には強いようです。

例えば、
「スポーツマンシップは大事」と言われますが、サッカーやラグビー、バスケットなどの試合では意図的な反則的行為が行われます。相手から攻撃される時に(相手選手を止めなければ点を取られてしまうから)反則覚悟での守備的行為が容認されている気がします。
サポーターが感謝したらOK? サポーターからブーイングならNG?
〇〇〇選手ならOK? ▲▲▲選手ならNG?
このような場合、サポーターが望む反則行為を行う選手と行わない選手とでは、どちらが“逸脱している”ことになるのでしょうか?

ルールに準ずる審判の判定は別にして、勝つための反則的行為が『ホメられるプレー』になることはよくある話です。子どもたちのゲーム(試合)でも、審判の見えないところで相手の服を引っ張ったり、足を踏んだりしていまから、大人が教えているのでしょう。

その他の例えとして、

●子どもには『いじめはダメ!』と言う大人が 、友人と一緒になって他人(隣人や友人、夫婦間で)の悪口・陰口を言ったり、貶したり、からかったり、無視したりする行為。
●『殺人は犯罪だ!』と多くの方が言いますが、死刑執行や戦争で敵を倒すことについては『犯罪ではない!』と賛同する行為。
●COVID19(新型コロナウイルス)感染の社会問題の中で、経済活動と生活のための店舗営業する方の行為と、自粛警察などと呼ばれる正義中毒者たちの行為。
●人種差別に反対する人が、国籍や県民性に対して侮辱的な差別発言をする行為。

どっちが正しいのか? 正しくないのか?

どっちを行なうのか? 行なわないのか?

※社会学における「逸脱」とは・・・

社会学において逸脱論は、異常で病理的とされる社会的事象の研究を行なうものである。ただ、一般の常識ないし偏見から離れ、より科学的な態度でのぞむものである。つまり、ある社会において逸脱として定義される事象は、別の社会では必ずしもそうではない

(出所:Wikipediaより)

ソーシャル・ボンドとなる準拠集団の選択

ボンド理論」は、“逸脱的行為” の善悪を定める理論ではありません。ただ、個人に対する他の人たちと同調することを当然のように主導する「ソーシャル・ボンド」が存在し、それに非同調の場合は、“逸脱的行為” であると人は判断してしまう傾向が強い、ということが理解できます。

そして人が “同調する” または “同調しない” の対象となるのが、個人を取り巻く他者・社会ということも分かります。この他者・社会の具体例が、“準拠集団” です。

※「準拠集団」とは・・・

人の価値観、信念、態度、行動などに強い影響を与える集団を意味する、社会学、社会心理学の用語。家族、地域、学校、職場など。
ただし、準拠集団となるのは、必ずしも当人が所属する集団とは限らない。人の後天的欲求は、モデルとなる他者によって形成される部分が大きい

(出所:Wikipediaより)

同じ準拠集団に対して100人の個人がいるならば、100人皆が “同調する” とは限らないのが、世の常識でしょう。

家族・友人、地域・自治体、学校・会社、団体・コミニティなどとの “繋がり” が強ければ強いほど、影響を受けていることは事実です。
そして “同調する” その集団の中での自身のあり方(考え方、行ないなど)を主観視すると、『自分は正しい』と思い込んでいる状況、がうかがえます。
価値観、信念、思考特性などが類を呼ぶため、同調できる集団は『正しい』存在になるからでしょう。

非行集団、暴走族や暴力団(反社会系団体)、詐欺集団であっても、です。
一般的にはこれらの集団の人たちを“逸脱”した存在と判断するでしょうが、その集団に“同調する”人たちは(その時点では)、『自分は正しい』として行動します。その人が集団を抜ける際には、“逸脱”する行為と見なすことができるわけです。暴走族から抜ける時のリンチや暴力団から抜ける際の指詰め(エンコ)などは、逸脱する者への制裁なのです。

絆=「ボンド」となる愛着、投資、信念などによる準拠集団は個人にとって絶対的存在ではなく、個人の変化によって変わりゆく相対的な存在となります。
時に、個人と繋がる準拠集団が切り替わることは仕方がないと言えます。つまり、準拠集団を(家庭や小中学校などは難しいとしても)個人で選ぶことができるのなら、選択基準を明確にしておくことが自身にとって重要課題になってきます。

では、その選択基準とは何をもとに定めることが好ましいのでしょうか?

 

属する準拠集団から影響を受けやすい(依存的な)個人は、「ボンド」の状態変化に反映される可能性があります。裏切りに遭えば愛着は失せ、経験や成果を他者承認されなければ投資への執着心も低下し、集団からの圧力・束縛が強ければ信念も乏しくなってきます。逆に、愛着が強まる別集団に参加したり、経験や人脈が増えれば投資への執着心も高まり、品格や人間性を磨くことで信念などの軸も強固になってくるでしょう。

そこで、愛着(attachment)、投資(commitment)、巻き込み(involvement)、信念(belief)の4つの「ボンド」=絆に対して個人が受動的に繋がるのではく、能動的に繋がっていくことができればと考えました。

ここでポイントにしたいのが、投資信念です。(巻き込みは次の段階のような気がします。)これらは個人の意識や行動で変化を与え、準拠集団さえも選択することができます。

投資は、これまでの経験・見識・人脈・信頼・資産・知名度・成果・成功など積み上げてきたことに費やした時間やエネルギーなどを総合的に捉えた際、それらを失うことの怖さによって(逸脱する)行動の抑制を行なうとされています。
 信念は、法令遵守や道徳性を身に付けることの大事さを信念に持つことで、社会との良好な関係を踏まえ、(逸脱する)行動の抑制を行なうとされています。

 

つまり、『マインド・チェンジ』=意識の変革による行動変容とそれに準ずる成果をもたらす可能性も大です。

 

マインド・チェンジによる新ボンドへ

『マインド・チェンジ』によって、これまで “同調” していた準拠集団に対して “非同調” となり、“非同調” だった集団に “同調” することもあるでしょう。
例えば、

  • 支援政党を自◯党から◯進党に変えた
  • カトリック教からプロテスタント教に変わった
  • 警察官を辞めて暴力団に入った
  • 不良少年からボランティア青年になった
  • ベジタリアンから肉食派に変わった
  • サラリーマンから起業家になった
  • 芸能界を引退、芸術家になった ‥‥など。

ここまで極端な転換はないにしても、多少の方向転換や属する集団の変更などは有り得ることです。

 

ボンドの切れ目は縁の切れ目

知識や情報が増えることで選択基準が変わったり、選択肢が増えたりします。
人や著書との出逢いによって、志向性・嗜好・思考などに変化が生じたり、信念・信条・価値観などがバージョンアップしたりします。
今までにない経験や体験をすることで、見識が増えたり、健康状態に変化があったり、感情・心情に反映されたりします。

準拠集団を変えるほどの『マインド・チェンジ』があったとすれば、これまでの「ボンド」との繋がりが(表現が適当かは不明ですが)切れ、新たな「ボンド」を構築し始めたことになります。

準拠集団が一生変わらないということのほうが稀ですが、“同調する” 準拠集団を替えることは、自身のあり方を替え、以後の “行動の選択” に影響を与えます。行動(の方向性や質が)が変われば、結果や成果も少なからず変わってくるはずです。

 

“逸脱すること”をポジティブに

非同調による“逸脱的行為”を善悪という理論で判断されていなくても、多数 vs 少数または価値観などの相違する異属という理由で阻害されてしまう社会構図の中で、自分自身が生きていく上でのあり方を大衆(=多数)に合わせる(「長い物には巻かれろ」も含む)・・・という意識(慣習?)が、“逸脱しない” 要因であることは予想がつきます。

しかし、“逸脱的行為” によって、イノベーションを起こし、ベンチャー企業等も生まれ、学生起業、主婦起業、さらには、企業内起業などをする人も増えてきています。意義ある準拠集団との出逢いがあったのかもしれません。あるいは、著書や知識の修得からマインドチェンジが起きたのかもしれません。

その “逸脱的行為” は、その人の中に目的や信念などの軸が備わり、新たに “同調” できる環境(準拠集団など)を見つけ出し、飛び込んだプロセスがあるからこそだと考えられます。つまり、

個人において自身をコントロールできる状態(行為)であるわけです。

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意識の転換

 

「行動できない人」は、『ソーシャル・ボンドがあるから行動できない』のではなく、主体的な自身の目的・信念・目標・価値観などを基本に新たな「ソーシャル・ボンド=社会的絆、社会的役割」を見出だすことができるのなら、周囲の視線や評価を気にせず、周囲に意識させ、評価をしてもらう(フィードバックしてもらう)」ことによって、成長し続ける環境創造も踏まえながら前へ進んでいけるのではないでしょうか。

セルフ・コーチングの質問Dana

  • 今までの違う行動をするためには、何が必要?
  • 行動する前に、準備することは何?
  • 今の集団から離れるメリットは何だろう?
  • 行動した後に、何が変わった?