『(自己)成長しなさい!』『(もっと)勉強しなさい!』みたいなことを、周囲(親・先生・先輩・上司など)から言われたことはありませんか?
『もっと色々なことを知りたい! 学びたい!』『自分をもっと成長させたい!』と、自分の思いを奮い立たせ、行動していたことはありませんか?

ただ、その結果はどこにつながっているのでしょうか?
 自己成長を実感できる時とはどんな時でしょうか?

そもそも、「自己成長」とはどんなことだと思いますか?

自己成長を明確にすること

※「自己成長」とは・・・

自分で努力して成長していくこと。自ら促して成長していくこと。

(出所:Weblio辞書より)

つまり、親から、幼稚園や学校の先生から、部活の指導者から、先輩から、上司などから促され成長してきたことは「自己成長」の範疇に入らないのでしょうか?

どんな状況・環境だったとしても、教えてくれた他人がいたとしても、その時「やってみよう」「やろう!」「やってやる!!」‥‥という決意が自らの心に芽生え、諦めずに努力して、できなかったことができるようになった事柄は数多くあるはずです。それも「自己成長」だと思われます。

歳を追うごとにできることが増え、社会生活する上で困らない程度になった時から、自己成長の度合いは次第に緩やかとなり、人によっては早々とピークを過ぎ下り坂(=衰退期)になる方もいることでしょう。

なぜ、人は自分の成長を止めるのでしょうか?

反対に、仕事関係や特技・趣味など技術的なことで、今以上にできることを増やしたいと挑戦し続けるのみならず、精神的な成長、人間性としての成長を望み、取り組んでいる方も数多くいることでしょう。

なぜ、人は自分を成長させ続けるのでしょうか?
「幸福な人」とは「成長している人」です。
また「不幸な人」とは、いかなる原因が背景にあれ、
「成長が止まった人」です。
ジョン・デューイ[米・教育学者、哲学者]

『自分を成長させたい!』という強い意識は稀に、罠にハマってしまう危険性があります。例えば、時間を無駄に使っている、お金を余計に使っている、チャンスを逃す、成果につなげられない、等々。

自分を成長させている人たちは、『自分を成長させるんだ!!』という意識を持って活動しているようには見受けられません。勿論、研修やセミナー、教室などの学びの環境では自己成長させる意識は介在しているかもしれませんが、自己成長が目的ではないはずです。学びの場所を情報収集(=インプット)の場とする時は、別の目的(=アウトプットの場)が明確になっていると考えられます。

自己成長という明確さが自身になければ、何を成長させれば良いのか、どのようにして成長すればいいのか曖昧なままで、ただただ「何かに取り組んでいる」だけの可能性もあるのではないかと・・・。

生きていく上で自己成長は大切なことです。技術的な成長、精神的な成長、人間性の成長は人生最期まで可能なことです。しかし自己成長が人生の目的になることはありません

ある目的・目標や使命、ビジョンを達成する(自己実現の)過程で「自己成長」していく、と捉える方がわかりやすいかもしれません。
 目的やビジョンなどは個々人によりますが、その “目的意識” が中核(コア)となり、“目的意識” による日々の活動こそが「自己成長を促進させている」と考えることができます。

つまり、目的意識」と「過程(プロセス)」は「自己成長」に深く関与している、ということです。

では、どのようにして人は「自己成長」していくのでしょうか?

その過程における「自己成長の3つの方法」と「自己成長につながる3つのタイプ」についての私見をまとめてみました。

「自己成長」3つの方法

3つの自己成長

その3つとは、自然成長」「努力成長」「合体成長と考えています。

個人の「自然成長」と「努力成長」がベースとしてあり、他者とのシナジー効果によって有効化・拡張され「合体成長」が促されていくわけです。“触発される”と言ったほうが理解できるかもしれません。

ただし、その対象者によって「合体成長」の度合いは変動するでしょう。つまり、“自己成長”に繋がる人間関係(環境)がポイントになっていきます。

効果的な「合体成長」を促すためにも、ベースとなる「自然成長」と「努力成長」を自らの意思で促進させる必要があります。そして、それらのバランスを考えていかなければなりません。

「自然成長」とは

日々仕事やその場面での経験によって成長する、いわゆる『人は何かしら成長している』という概念のものです。

同じ作業やスポーツの練習などの反復行動によって、失敗は減り、熟すスピードはアップし、精度が高まっていくでしょう。能率・効率がよくなっていけば、成長していると見なせます。初心者から経験者、熟練者にステップアップしています。

懸念すべきことは、「自然成長」のみを強調してしまうと、ビジョンも目標もない人でも成長すると助長しているようで、現状満足で終わってしまう危険性があり、向上心のない方、出世意欲のない方を増やす傾向になりがちだということです。

事例でいうと、漢字の宿題100回書き取り、野球の練習で素振り1000回、接客練習の「いらっしゃいませ〜ありがとうございます。またのお越しをお待ちしております!」を30分間継続‥‥みたいなことの反復行動は、その行為の数値クリアすることが目的となってしまい、成長促進にはならないとも言われているほどです。

反復行動と言っても取り組み方によっては、同じ人物で大差が生まれることもあります。それは、次項の「努力成長」と連動しているかどうかです。

「努力成長」とは

自ら難題・困難などに挑戦することで成長する、いわゆる『目標や目的を定め努力して成長している』という概念です。

同じ作業やスポーツの練習などの反復行動だとしても、その行為の意図を理解し、分析し、改善や改良を意識し、失敗しても諦めず取り組むことによって、より良い成果が生じる傾向にあるパターンです。匠の技など、プロフェッショナルな方がよい例ではないでしょうか。

ただ、「努力成長」のみを強調してしまうと、自己中心になり過ぎる傾向となることも‥‥。例えば、チームより自分の成長を主に考えるパターンになります。あるいは「自己否定」的な意識から、さらに上を目指すために苦行的(修行的)人生になる傾向もあります。

「自己成長」の意識が自分のみに向いてしまっている場合は、すぐに限界(成長のピーク)がくるでしょう。最悪、社会からの “孤立” “孤独” という結果を迎えてしまうかもしれませんから、成長する目的を社会と結びつけることが必要になる、と考えて良さそうです。それが、次項の「合体成長」と共鳴していくわけです。

自然成長と努力成長のバランス

それぞれ一長一短(?)がありますから、「自然成長」「努力成長」の両方のバランスをとることが必要です。どちらを優先するのかは、その時の状況、成長度合い、考え方(ライフイメージ)で変わってくるでしょう。

例えば、足が速くなりたい(速く走りたい)子どもに、『走る練習を続けていれば、身長も伸びてくるし、いつの間にか速く走れるようになるからね。』(自然成長)とアドバイスするか、『目標(期日やタイム値)を決めて、走る練習以外も筋トレや坂道ダッシュなどを含めた練習計画を立てよう。定期的に測定し、状況を見ながら計画を練り直そう。』(努力成長)とアドバイスするか・・・ということです。
 自身に対するアドバイスも同様で、今の状況や環境、レベルなどを理解した上で適切なアドバイスをしていくことになります。これがセルフコーチングへと繋がっていきます。

「自然成長」「努力成長」のバランスは、時間軸と成長軸でその成長度合いを見た時に、成長曲線が逆になるだけではないかと思うのです。

「合体成長」とは

他者と協力・共生しながら、『一人では成せないことでも相互作用で成長促進させる』概念です。つまり、相乗的な成長と言えます。

協力・共生というワードを使った理由としては、同じ目的やビジョンの他者とだからこそ成長できる環境があるのであって、違った目的の他者との相乗効果は薄いと考えることができるからです。協力関係でなくライバル(好敵手)関係であっても「合体成長」は促進されます。

これは合体する自己と他者のレベルにもよります。シナジー的に考えれば、自己または他者のレベルの差がありすぎるとアナジー(負のシナジー)効果の危険性が高くなります。例えば、高校生レベルと小学低学年生レベルがバスケットボールの練習を一緒に1年間続けても、(小学生は上手くなるかもしれませんが)合体成長は望めません。

「合体成長」は相互の価値観や志向性なども踏まえなければなりませんので、人間関係性構築のスキルが重要になってくると言えます。

「自然成長」と「努力成長」によるベースがあることで「合体成長」は効果を現します。
 挨拶もできず、言葉使いも荒く、約束も守らず、努力もしないような人と一緒に成長したいと考える人を、探すのは苦労するでしょう。『一緒にやりましょう!』と近づいてくる(共感してくれる)人たちが現れるための努力は必要なのではないでしょうか。

われわれは、長く生きるほどに、
何とわずかなことしか知らないのか、と教えられる。
成長して年を重ねるということは面白い冒険であり、
驚きにみちている。
エリク・エリクソン氏

自分が成長していることを意識できる3つのタイプを理解し活かすと、さらに自己成長を促すことができると考えられます。

「自己成長とは?成長を意識する3つのタイプ」はこちら>>