セレンディピティ〜自己能力をデザインする
『能力』と称されるものを人は、どれだけの種類を備えているのでしょうか?
生まれ持った能力、身に付けた能力、特殊な能力、変化した能力など。そして様々な能力を単体で、いいえ複合的に活かす“能力”もあります。すべてが、自己能力です。
大抵の場合は、表に現れている能力(=顕在的能力)によって、『あの人は能力が高い!』『素晴らしい能力を持っている人だ!』と評価されたりします。また自分自身が自己能力を認識していることで、自信を持てたり、何かに挑戦したりすることができるわけです。
ただ人には、無意識(=潜在意識)の中にも、使い切れないほどの能力(使われていない能力も含めて)が多々あると言われています。
その一つとして「セレンディピティ」があり、今回のテーマです。
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セレンディピティとは
『偶然または聡明さによって、予期しない幸運に出会う能力』の意とされています。
『セレンディピティ』は最近の言葉ではなく、18世紀の小説家(ホレス・ウォルポール Horace Walpole)による造語と言われています。
ペルシャ地方に伝わる『セレンディップの三人の王子たち』から。
「顕在的(実際)に求めていたものとは違うものを発見する能力」と解釈できるものです。
ただ最近一部の人は、「予期せぬ幸福を得られる力」とされていて、「引き寄せる力」という感じでしょうか。『セレンディピティ』のコトバを造ったホレス氏の意を主とするか、もとの物語の内容を主とするか‥‥微妙な相違を感じます。
どちらにしても、“幸運感”をもたらす能力であって、“不幸感”を呼ぶものではないことは確かです。
あなたの周囲におられませんか?
例えば、
困難があっても、常に誰かが手を差し伸べて、その困難を乗り越えてきた、運の良い人です。
「あなたって、恵まれているよね。」
「君って、ついてるよね〜。」
と言いたくなるような友人知人がいれば、『セレンディピティ』を発揮している、のかもしれません。
キリスト教の聖書的に言うと、「求めよ、さらば与えられん」が実現する人のことです。
セレンディピティは総合力である
それは偶然に身に付くことではなく、0から生み出される能力でもなく、経験による潜在的に保有された能力が引き寄せているであろうと考えられます。
偶然の出会いや引き寄せの法則などでも使われていますが、セレンディピティは、それに気付くかどうかの能力と感じています。
日本的な「察知力」「洞察力」「直観力」なども含まれるのでしょう。
そして、それを「手に入れる能力」「活用する能力」「融合する能力」なども含まれるものと考えられます。つまり、総合的な能力と言えます。
このように能力やスキルという要素で捉えていくと、『セレンディピティ』は特に“不思議な力” “奇跡の力”ということではないようです。(奇跡的な印象をもつことは大事かも‥‥)
セレンディピティに類似した能力に関するものがあり、それは米大学心理学部教授ジョン・D・クルンボルツ氏のチームにより1999年に提唱された「計画的偶発性理論」、いわゆる「予期せぬ偶然の出来事(プランドハプンスタンス)」です。
この理論については別記事にしていますが、教授たちによれば、この理論を実践するためには『オープンマインド(開かれた心の態度・体制)』であることが前提とされ、好奇心・持続性・柔軟性・楽観性・冒険心がキーワードとなることを伝えています。
求めよ、さらば与えられん
「求めよ、さらば与えられん」というのは、神様にお願いするなどのことではありません。
人が何かしら困っている時、あるいは真剣に(解決を)望んでいる時は、そこに意識が集中(フォーカス)しているはずです。
フォーカスすることで、脳の働きが変化します。関する情報、関しない情報の分別が素早くなります。例えば、五感を通して入ってくる新情報と、貯蔵(記憶)されている長期記憶とのマッチングも同じです。
また、そのような時は人に相談したり、何となく口に出していたりすると、聞いた人がアドバイスくれたり、関係する人を紹介してくれたりして、さらなる情報が増えてきます。そこからヒントが見つかったりするのです。
偶然の出会い、奇跡的な出来事などからも、そこに隠されているヒントを掴んだりすることができます。あるいは、それらに主観的に意味や意義を与え、新たに結びつけたりします。
偶然の出会いや出来事自体は、交通事故や病気など悪いこともあるかもしれませんが、そこに意味を与えて好転させるようなヒントを見つけることさえもできるのでしょう。
この時の偶然の出会い、奇跡的な出来事などそのものを「シンクロニシティ(日本語訳:共時性)」(偶然の一致)と考える人もいますが、そこに興味を持ち、意味を持たせるかどうかが、「セレンディピティ」を発揮する大事な局面だということです。
毎日、怠けてボーーーッとしている人には、目の前に与えられているものがあったとしても気づかないということです。
知識、知恵、見識や人脈などのリソース(資源)がなければそれが何なのかさえ気付かないでしょうから・・・。
そういった意味では、セレンディピティのような能力は、別に新しく身に付けるものではなく、見失ったもの、気付いていないもの、潜在的に眠っているものとして呼び覚ませばいいことだと感じます。特殊な能力とは思えません。
「偶然または聡明さ・・・」の「聡明さ」」は必要になると思いますが・・・。
「聡明」とは・・・(参考出典:Weblioより)
・素早く見抜く知性
・関係を理解して区別する知能
・実際的な知性によって特徴づけられる
・特に高度に思考と理性の能力を持つ
・微細な区別を認識するか引き起こす能力を持っている、あるいは示すさま
・知識、経験、理解、常識、および洞察を働かせる能力
・学習の機敏さそして容易さによって特徴付けられる
・思慮深く分別があるという特質
・鋭い洞察によって示された抜け目なさ
・識別して、評価することによって意見を形成する特性
セレンディピティのような潜在的に備わっているだろう能力は、具体的な数値や行動で表現出来るものではないため、必要な時に偶然に現れる能力、として活かす努力を事前に得ておく必要があるのではないかと‥‥。
そのためにも、自己成長するための「修得」がポイントになってきます。
現状維持、停滞中では能力開発、成長はないということです。
自己能力をデザインする
常に新しい情報を脳にインプットする必要があり、そして大事なのが、それを考察・分析しながら「アウトプット」していくことです。
その中で、他者と意見を交わしたり、意見を聞いたり、議論したりして、さらに磨きをかけていきます。
これは、組織に所属している場合、重要な能力になりつつあります。
言われたことしかできない労働者に、未来はないということです。
未来というのは、ただ生きていることではなく、「自己価値」という意味での未来です。
つまり、「キャリア・デザイン」の重要性です。
自分の能力を社会に役立てるために、整理、調整、融合するというイメージで良いのではないでしょうか。(会社に雇用されるためとか、狭い意味ではなく)
組織内、社会での伝統的キャリアと新たな自己キャリアを複合的かつ応用的に活かしていくパーソナル・ケイパビリティの強化がこれから重要視されることは間違いないでしょう。