私は誰か?(2)ABC理論とセルフ・コントロール
『私は誰なのか?』という問いに対しての自身の応えは、人物像なのか家系上の事実なのか、あるいはこの時代に生きる使命を受けた者としてか、・・・いくつかの反応があると考えられます。
答えは自身で出すしかないのですが・・・。
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私は誰か? の応えは変化する
『私は誰なのか?』についての自身の応えが、事実であるとは限りません。
家系や肉体の存在などは事実だとしても、「私は取り柄のない人間」「私は皆から嫌われている人間」「私は社会に必要のない人間」などという思いがあるなら、それは事実ではなく、イメージの表現です。
「私に対する私のイメージ」=自己概念、つまり “私” が “私” について感じたことを分類した中から、もっとも大きくまとめたイメージを引き出しているだけに過ぎないと言えます。それはこれまでの経験・体験や学習によるところの事実や知識に対して、感想、情動、感情、考え方、捉え方などの記憶の分類が偏ったことによる部分的なイメージです。
それらの受け止め方で人は多様性が生じます。
例えば、『私はこの会社で活躍する自信がある。人より勉強したし、能力も高い!』と自己肯定する人と、『私はこの会社で続けていく自信がない。勉強もできなかったし、他の人と比べても何の取り柄もない!』と自己否定する人の自己概念は、過去の経験と “私” に対する客観的な捉え方の偏りの違いです。
その偏りが他へ移行すればイメージは変わります。
客観的に自身を観察し、そのイメージを意図的に変えるような方法を身につけ実践することで、『私は誰なのか?』の応えは次第に変化していきます。
私¬他人
- 「弱き者を助けたい。ならば、私は政治家になろう」
- 「弱き者を助けたい。ならば、私は弁護士になろう」
- 「弱き者を助けたい。ならば、私は医者になろう」
- 「弱き者を助けたい。ならば、私は警察官になろう」
- 「弱き者を助けたい。ならば、私は格闘家になろう」
- 「弱き者を助けたい。ならば、私は悪役でも構わない」
- 「弱き者を助けたい。そうすれば、私はヒーローになれる」
- 「弱き者を助けたい。ならば、私はボランティア活動をしよう」
- 「弱き者を助けたい。ならば、私は神に祈り続けよう」
- 「弱き者を助けたい。ただ、私には何もできない」
- 「弱き者を助ける? なぜ? 私には関係のないことだ」
- 「弱き者を助ける余裕はない。私を助けて!」
人の思いと行動は多種多様です。例えの「弱き者」とする対象さえ “私” と他人は違いますし、個人の行動領域として “できること” も違います。
“私” と他人は共通する点があったとしても、思考と行動などは基本的に違いますから、憧れの人の真似やロールモデルを追従したことで『私は誰なのか?』の応えに変化が起きても、他人同様になることはありません。
“私¬他人”(私は他人になれない)であり、イコールになることは理論上皆無です。
同じ両親に育てられた双子が大人になるにつれて異なった自己概念を持ったり、同じ学校教育を受けた多数の子供達の自己概念が10人10色だったりするのは、遺伝子も含めた多因子の複合的な組み合わせがあるからでしょう。
約4割強は遺伝子の影響とも言われていますから、残り5割以上は後天的な要素が自分自身や人生を作り上げると考えて良さそうです。
つまり、自己概念も含めて “私” の考え方、“私” の行動、“私” の能力、“私” の生き方は、自分自身で制御できる、コントロールできるということになります。
ABC理論
人の思考や行動の違いについて、臨床心理学者アルバート・エリスによる論理療法(REBT:Rational Emotive Behavior Therapy)で有名なABC理論を今回利用します。
米国医学者アーロン・ベックによる認知行動療法の認知モデルはコチラ>>
事柄の因果関係は一般的に、事実A(出来事)によって結果C(感情・思考・行動など)がある “A→C” というニュアンスです。
エリスのABC理論は視点が違い、“A→B→C” 、というものです。
事実A(Activating event=出来事・五感からの情報)に対して、信念体系B(Beliefビリーフ)により反映され、C(Consequence=感情、行動など。続いて起こる結果や成り行き)が生じるという、刺激と反応のプロセスを示しています。
ビリーフとは?
ビリーフについて簡単に触れると、個人の「思い込み・固定概念・考え方の癖」などで、人それぞれが持つ特性、解釈パターンの一つと言えます。
これまでの家庭環境、教育、経験などにより得た情報を脳内で集約し体系化しているものです。メンタルモデル、パラダイムなどと同じ類になります。
例えば
『男はオタク』『女は噂話が好き』『炭水化物は太る』『東大卒は偉い』『女の幸せは結婚』『○○県民は酒が好き』『若者は礼儀を知らない』『私はダメな人間』『彼は役に立たない』『犬は噛むから怖い』などという思い込みを持っている時、それらはビリーフとなります。
他には、『日本人は世界で最も親切な民族だ!』『東京はどこよりも美しい都市だ!』などもビリーフの一種です。
自分自身に対してのみならず、社会・政治・環境や人間・生物・未来などに関して、情報をもとに自身の思い通りに解釈し、結論づけていることと言えます。
例えば
カフェで、運んできた店員がジュースをこぼし客のズボンを汚した事実(A)に対して、客が店員に激怒した(C)のは、客の固定概念・信念など(B)によるものです。
同様の事実(A)があったとしても、冷静な対応(C)をする客もいます。その客の固定概念・信念など(B)による結果です。
前者の客の固定概念・信念など(B)には、「店員はジュースをこぼしてはいけない」「店員は客に迷惑をかけてはいけない」「客は神様だ」「人様のものを汚したら弁償すべきだ」などの思い込みがあるのではないでしょうか。
後者の客の固定概念・信念など(B)には、「人はミスをする」「人はミスをしながら成長する」「汚れれば洗濯やクリーニングすればいい」などの思い込みがあるのでしょう。
短気な人(怒りっぽい、すぐ拗ねる、反発する、反論するなど)と柔和な人(優しい、明るい、穏やか、許す、和ませるなど)の違いは、言動そのものというより備え持つビリーフの違いということになります。
人間関係性においても、相手の言動や性格が事実(A)だったとしてもそれが原因で良し悪しが決まるのでなく、相手に対する自身の捉え方(B)によって良し悪しが決まるもの、と言えるのでしょう。
このビリーフが、合理的か非合理的か、ポジティブかネガティブか、論理的か非論理的か、などの相反する状態により結果は全く別のものになる、というのがABC理論に基づいた考え方です。
出来事や情報(A)に対する自分自身の受け止め方や評価(B:思考・思い込み)が非合理的・非論理的であった場合、出来事や情報(A)という事実をねじ曲げてしまう恐れもあります。言動や思考などと連鎖し、生き方そのものに反映されていくわけです。
イラショナル・ビリーフ
この非合理的・非論理的なBを専門用語で『イラショナル・ビリーフ』と言い、合理的・論理的なBを『ラショナル・ビリーフ』と言います。
個人の問題となってくるのが『イラショナル・ビリーフ』です。根拠がなくても個人の内に確定させてしまっています。
このタイプは、「失敗は許されない」「成功すベキだ」「みんなができて当然」などの「ベキ主義・完璧主義・完全主義・理想主義」の傾向が強いと言われていますが、『思い込みが激しい人』などはまさしくこのタイプと感じています。
例えば
ある失敗(A:出来事)をしたとしましょう。
「私はダメな人間」「私は何もできない」「私には才能がない」(B:思考・思い込み)というタイプの方は失敗に対して、『うわっ、やってしまった。やっぱりやらなきゃ良かった。何をやってもダメなんだ、オレは!』と意気消沈し、苦しくなり、悲しくなり、無口になったり、塞ぎ込んだり(C:結果)します。
これまでの経験の中で悲観的・自己否定的なタイプは、失敗が一つ増えたことで、より自己否定感を増幅させてしまいますから、それ以後に失敗を恐れて行動できなくなってしまう恐れもあります。
「私は何事も完璧にこなす」「私は誰よりも優秀だ」「私の辞書には失敗という文字はない」(B:思考・思い込み)というタイプの方は失敗に対して、『ちくしょう! うまくいかなかった。これはオレのせいじゃない。〇〇が悪いんだ!』と怒ったり、イライラしたり、責任転嫁したり、八つ当たりしたり、ヤケ酒したり(C:結果)します。
自信過剰・オレ主義的なタイプは、失敗という事実を受け入れず自身の有能さを護ろうとすることで、人間関係などを悪化させる懸念もあります。
「成功もあれば失敗もある」(B:思考・思い込み)というタイプの方は失敗に対して、『仕方がない。あそこで私の選択が甘かった。この失敗の原因を分析し、次に活かそう!』と冷静に受け止め、振り返りなどで自省したり、原因を追求したりして(C:結果)います。
それ以降リフレッシュして新たな気持ちでチャレンジし、奮起する方向へ進めるのでしょう。
同じ出来事(A)があっても、個人の捉え方(B)によって、感情や言動(C)に差異が生じるということであるなら、(C)をコントロールしようという選択より、(B)を変えた方が効果的で効率的と考えることができます。
その方法の一つが、次の理論です。
ABCDE理論
『イラショナル・ビリーフ』に対する処置として、D(Dispute=反論・論争・論破・論駁ろんばく)をし、E(Effect=効果)へと導き出すABCDE理論をエリスは推奨しています。
出来事Aに対する捉え方Bがイラショナル・ビリーフ(非合理的・非論理的)の場合に、自分自身で冷静かつ論理的に、Bに対してD(反論)しネガティブ性Bを打ち負かします。それによってネガティブ性Bに対する結果Cとは別の “効果E” を導くというものです。
例えば、前例での失敗に対するネガティブ反応(C)を示す「私はダメな人間」「私は何もできない」「私には才能がない」など(B)に対して、「何がダメなのか? あの時〇〇だったではないか!」「本当に何もできないのか? できることは何かを探ってみよう!」「才能とは何か? 今までに身につけたことは何か!? 足りないことは〇〇すれば良いではないか!」など、自身のBへ反対するようなセルフトーク(自身との会話・やりとり)を行い、記憶の中から経験による証拠(エビデンス)を引き出し、ぶつけていきます。これがD(Dispute=反論・論争・論破・論駁ろんばく)です。
このD(反論)を意識的に行なうことがポイントであり、それを実行する役目が “セルフ・コントロールする私” です。
D(反論)は、「よし反論してやる!」という意気込みだけではネガティブな “私” に打ちのめされる可能性があります。ネガティブな “私” に勝つことができる “セルフ・コントロールする私” の存在は必要です。そのための要素を備えなければならないのです。
ネガティブ的意識の強い人は、ABCDE理論のD(反論)を意識し、継続していくことで、自信喪失・自己否定的な自己評価をしない自分自身を築いていくことになります。
このような観点で、ABCDE理論に基づく思考は『セルフ・コントロール』術の一つであると言えます。
セルフ・コントロールする“私”
『セルフ・コントロール』とは、自分自身を制御、統制することです。セルフ・レギュレーションと呼んでいる人もいます。
セルフ・コントロールとは、
(1)感情や欲望を抑えること。自制。克己。
(2)自動制御
(出所:大辞林より)
(1)自身の行動(顕在、潜在、情動、身体機能)を指令通りにしたり、自身の衝動を抑制・抑止したりする能力
(2)短期的利得が、長期的損失あるいは(短期的利得以上に得られる)長期的利得と対立した場合に、長期的結果を選ぶ能力
(出所:米国心理学会心理学事典より)
とあります。
“私” の感情や欲望、行動などを “私” がコントロールすることになりますので、その能力と方法を知る必要があります。
質の良い喜怒哀楽
心理学者マーティン・セリグマン教授の「ポジティブ心理学」では、怒りや快楽などの本能的な情動を素直に出すこと(一般的に言われる「自分の気持ちに素直になること」)は好ましくない、としています。
『喜怒哀楽の激しさは、その感情とともに実力までも滅ぼす』
心理学者アドラーの言葉を使えば、本能的な感情のままに行動(表現)することは感情に「支配されている生き方」として、感情に「支配されない生き方」を勧めます。
コヴィー氏の7つの習慣では、刺激と反応の間に「選択の自由」があることを伝えています。
これは、エリスのABCDE理論にヒントを得た内容と考えられているようですが、D(Dispute=反論・論争・論破・論駁ろんばく)に該当するのは「選択の自由」と捉えると、自覚・自由意志・想像力・良心の4つの性質を理解し、コントロールしていくことを推奨しています。
ABCDE理論に基づくと、刺激による情動を素直に感情表現する人は “A→C” になりますが、表現をコントロールできる人は “A→B→E” にする、ということが言えるでしょう。
人の喜怒哀楽には「質の良いもの」と「質の悪いもの」があると捉えて下さい。
質の良い喜怒哀楽として感情表現するためには、ABC理論でいうところの「ビリーフ」を質の良いものにし、「選択の自由」によって言動を「コントロール」することで、感情に「支配されない生き方」をすることができるのではないかと考えることができます。
満足度の高い人生を
「ポジティブ心理学」のセリグマン教授による人生の満足度について、「快楽的な人生(快楽を手に入れることに注力する生き方)」を続けるよりも、「意味のある人生」の方が断然「満足度が高い」と発表しています。
さらに「快楽的な人生」「夢中を追求する人生」「意味のある人生」を全て揃えた生き方は、3つの総和より大きいことも発表しています。
バランス良く、主体的に行動していくことで、より満足度の高い人生を送ることができる、ということなのでしょう。
私たちの生活範囲内で、行為すること、考えること、情報や過剰なサービスなどが膨大になっています。
自分自身にとって何が正しく、何が適しているのか、分からなくなってきた現代です。
徐々に誤った方向に進んだり、いつの間にか苦難(依存症など)から抜け出せなかったりしていることが、あるのではないでしょうか。
そこから脱する(脱誤苦=だつごく)ためには、方向性を見定め、先ずは可能な限り行動と思考を明瞭にした方がいいと考えます。それが「自己エコ化」につながります。
自己のエコ化を行なう具体的なことが三つあります。その三つとは……続く
※参考:TEDよりマーティン・セリグマン氏の講演