キャリアデザイン〜自分の能力を創出する〜
『もっとキャリアを磨きなさい!』『自分の能力を高めなさい!』『キャリアアップしなさい!』・・・のような助言が両親や恩師、会社の上司や先輩などからあるかもしれません。なかったとしても、自分自身のキャリア(マイキャリア)が何であるか、自分の能力の磨き方を理解しているのか、年齢や経験など関係なく、未来の課題になってきます。
闇雲にキャリアを増やせばいいというわけではありません。資格をむやみに取得すれば良いということでもありません。そして何より、“他の人と同じ” である必要はありません。
時間などが有限である人生の中で、「何をやりたいのか?」「何ができるのか?」「何故やりたいのか?」「どのようにやるのか?」「いつまでにやりたいのか?」などを模索しながら、“なりたい自分” を目指し(あるいは “自分の潜在的能力が活かされる場” を探し)、自らの人生を演出していく時間を楽しむことが必要と感じています。
ノーベル文学賞受賞者のジョージ・バーナード・ショーのコトバより。
人生とは自分を見つけることではない。
人生とは自分を創ることである。
Life isn’t about finding yourself. Life is about creating yourself.
Table of Contents
キャリア・デザインとは何か?
ここでは「キャリア・デザイン」(career design)という考え方について、触れていきます。
世間で言うところの「キャリア・デザイン」の意味は、(何となく)2つに大分類されている感が伺えます。
広義的か狭義的か、専門的か網羅的か、という概念です。組織の中の個人か人生のうちの職業、という感じもあります。
当方の考える「キャリア・デザイン」は、職業(生活費を稼ぐ手段)を主とするそれではなく、個人の目的や使命(役割)を果たすために、自己の価値を主軸にして自らが人生設計的に具現化することです。
個人の “生き方とあり方” を踏まえながら、当サイトの目的の基軸である「キャリア・デザイン」について、さらに考えていきます。
キャリア・デザインの定義は?
先ずは、下に引用した各説明を(一例として)やんわりと拝見。
※「キャリアデザイン」(career design)とは・・・
組織化された計画と自らの職業的キャリアの積極的な経営選択の組み合わせのことである。
(出所:日本版Wikipediaより)
ただ、この文章は英語版Wikipedia(下記)による「キャリア・マネジメント」を訳し解説しているようで、少々違和感があるため検討する必要があります。
※「Career management」とは・・・
Career management is the combination of structured planning and the active management choice of one’s own professional career.
(出所:英語版Wikipediaより)
当方では、「キャリア・デザイン」は「キャリア・マネジメント」の一環としているため、他発の定義を探ってみます。
自分の職業人生を自らの手で主体的に構想・設計=デザインすることです。自分の経験やスキル、性格、ライフスタイルなどを考慮した上で、実際の労働市場の状況なども勘案しながら、仕事を通じて実現したい将来像やそれに近づくプロセスを明確にすることが、キャリアデザインの要諦です。
(出所:日本の人事部より)
将来のなりたい姿やありたい自分を実現するために、自分の職業人生を主体的に設計し、実現していくことです。
(出所:カオナビ人事用語集より)
単に職歴を決めるのではなく、価値観やライフスタイルまで含め、自分らしく働くためにどのような職業を選択するのかを決めること。
『職業人生』『仕事、働くこと』、そして『自分』が主体であることを強調されています。
次の各説明は、少々ニュアンスが違うように受け止めています。
人が生涯にわたってたどる生の軌跡のすべてが「キャリア」だと考えています。そして、一人ひとりにとってかけがえのない人生=キャリアを主体的に「デザイン」(設計・再設計)していくこと、これが「キャリアデザイン」なのです。
(出所:法政大学キャリアデザイン学部より)
「どんな仕事をしたいか」「どのような働き方や家庭生活を送りたいか」といった人生の理想を描き、理想の実現に向けた計画を設計することを意味します。
(出所:mitsucariより)
これらは『人生』が主要のようです。
「キャリア」とは、単なる職歴・経歴だけではなく、仕事への憧れやこだわり、その仕事を通じて実現できる生活水準などを含んだ、生涯にわたるライフスタイルのプロセスを指す。どういうプロセスを描き、何を実現したいかを明確にするのがキャリア・デザインの役割となる
(出所:グロービス経営大学院より)
前記も後記も共通することと言えば、目指すところ(理想、目標など)に向かって個人が主体的に設計(デザイン)すること、と言えます。
キャリアパスとキャリアデザインの違い
会社組織内での人材育成・人材開発に関わる「キャリアパス」(Career Path)というものがあります。
「キャリア・デザイン」は、個人の主体性・自由性・自己評価型が特徴で、仕事と生活を含む人生設計です。
「キャリアパス」は、会社組織が主体となり、統制的で、個人にとって他者評価型です。会社組織に所属することで効果が生じます。
キャリアパスとは
キャリアパスは一般的に、会社側から個人に対して、昇格や昇給に連動するプロセスや基準、枠組み(フレーム)を体系的に明確化(可視化)したもので、全ての従業員が平等に挑戦できる機会が与えられているものと言えます。
キャリアパスは個人にとって取り組みやすい「キャリア・デザイン」の一環です。
会社組織による “社内” という限定的な内容が主となります。例えば、
- 係長・課長・部長に昇進するために、どうすれば良いのか?
- 階級を上げ、給与アップするために、何をすれば良いのか?
- 契約社員から正社員になるためには、どうすれば良いのか?
- やりたい業務・部署へ移動するための方法は何があるのか?
係長・課長・部長へ昇進するための経験年数、実績・成果、他者評価、能力、資格、昇格試験などの複数要素ごとに基準(クリア条件)を定め、従業員全員にチャンスを与える制度が主流となりました。
会社組織によっては、そのための特別研修やeラーニング、資格受験のための勉強会など、学びの環境を準備し、人材育成コストの予算組みやキャリア・アドバイザーを配置するなど、バックアップ体制を整えたところもあります。(活用されているのかは別にして……)
キャリアパスは全員を対象にしてチャンスを与えているようですが、実態として “望む者” “一部の者” のみを対象としている傾向が強いかもしれません。
そうであっても、個人が設計するキャリア・デザインの一プロセス、または戦術として取り組むことで自己成長し、キャリアビジョンに近づけるのであれば、活かさない手はありません。
キャリアパスはキャリアデザインの中の選択肢の一つです。
キャリア・デザインの概念
As is! Can be! To be!
目指す地点が “To be”、現在地点が “As is”。
“Can be” をわかりやすく言えば、「為せば成る」目標地点と達成の可能性を指します。
「キャリア・デザイン」とは、人生における両地点( “As is” と “To be” )を把握した上で、“To be” にたどり着くための準備と方法などを明瞭にし、具体的な行動スケジュール(プロセス)などを策定していくこと、と考えることができます。
この “To be” になるところを「キャリア・ビジョン(=理想像)」と呼びます。
「キャリア・ビジョン」とは、人生や仕事における理想とする自身のあり方、です。
理想像ではありますが、可能な限り具体化したものがビジョンになります。
自身の『キャリア・ビジョン=“To be” が分からない!』という方も多数いますが、“To be” がまだ明瞭でなくても(頭の中でモヤがかかったようにイメージしにくい状態でも)、“Can be”(イメージがつきやすく、たどり着くことが可能な地点)を分析して行動し続ける中途で、“To be” を見つけ出すことも一つの方法です。
キャリア・デザインのステップ
下図は、“As is! Can be! To be!” を「キャリア・デザイン」の主要ステップに当てはめたものです。
- 理想設定=将来の自分自身の姿(キャリア・ビジョン)
- 現状理解=現在の自分自身の姿
- 理想と現状のギャップを分析、理解
- 理想実現に向けての計画と活動
これが主なステップになります。
前記したように、❶がまだ不明瞭でも、❷の自己分析を行った上で、『半年後は今よりも***ありたい!』などの短期的な活動計画を実践することが、以後につながると考えています。
理想(=キャリア・ビジョン)を将来実現した場合のことを考えれば、❶と❷の間は “実現可能領域” と見ることができますから、その領域でどのような活動をするのか、短期・中期・長期の視点で考えても良いものです。
「キャリア・ビジョン」は人生や仕事における理想とする自身のあり方、と伝えています。
一般的に『自分自身がなりたい姿』と言われていますが、例えば、
- **年後、社長になりたい!
これでは小学生が夢を語るレベルです。
- **年後、社長になった私は、**の地に建てた自社ビルで、**の人たちが笑顔になるような商品を、自らも開発したり販売したりして、**名の従業員と一緒に汗を流すような情熱ある経営者でありたい。仕事に理解のある配偶者と*人の子どもに恵まれ、質素な生活であっても笑顔を忘れず、互いに寄り添っていける家族でありたい。親としても社会人としても誇りを持てる、誠実で責任ある人物でありたい。
このようにキャリアビジョンは、人生と仕事に関する理想のイメージを具体的に描くことで、より効果的になります。
What、Where、Whom、When、How、How many、How long、‥‥に当てはめると、イメージが深まるでしょう。深まれば深まるほど(チャンクダウンと言います。)、活動計画も具体化できます。
一般的概念の『自分自身がなりたい姿』をイメージする場合、“なりたい” より “ありたい” がお勧めです。当方で “自身のあり方” にしているのは、そのためです。
“As is − Can be − To be” を意識することで、自分自身の「キャリア・デザイン」を進めていくことができます。
キャリア・デザインが必要な理由
「キャリア・デザイン」を必要とするのは一部の方を対象としているのではなく、全ての方に該当します。ただ、必要性を感じるかどうかは、個人の判断です。
さて、「キャリア・デザイン」は何故、必要なのでしょうか?
その理由は、一般的に
- 終身雇用制度が崩壊した
- 年功序列から成果主義へと変貌した
- 人生100年時代となった
- VUCA(変動・不確実・複雑・曖昧)時代になった
- 働き方や労働スタイルが多様になった
などが伝えられています。
これらの理由が一人ひとりの意識に影響し、あるいは実感し、必要であることを理解しているのなら、すでにキャリア・デザインを実践していることでしょう。
まだそこまで必要性を感じず、あるいは危機感を持っていない方であれば、明日以降もキャリア・デザインを行なうことはないかもしれません。
そこで、先程の一般的な理由を別の観点から解釈し、キャリア・デザインの必要性を共有していきます。
一般的な理由は、後付け!?
物事の理由というのは後付けであることが多いですから、無関係でないにしても、真の理由かどうかは自分事にならない限り、不明です。
それでも、理由をここで紐づけることは行動の動機になると信じています。
終身雇用制度は崩壊ではなく、戦略に基づく
「終身雇用制度の崩壊」は、国と経済界(雇用主)側による経営戦略・事業戦略による(負の)結果、と見ることができます。
雇用主にとってメリットとなる非正規雇用(契約社員・パート・派遣社員など)が常態化したことなどにより、終身まで雇用しなければならなかったデメリットを持つ雇用主にとっては、前向きな施策として非正規雇用を増加させてきました。(総務庁データによれば、平成の30年間で非正規雇用率は約2倍)
さらに、グローバル化と称して年功序列制から考課制度(成果主義)へ移行するなど、欧米的人事を真似したことでの歪み(帰属意識の低下、転職者への評価が良くなったなど)も生じ、能力・スキルの高い人たちが離職しやすくなったこともあるでしょう。
大企業や金融機関の倒産、外資系の日本進出やM&Aなどにより、団塊世代を中心とした日本国民が持ち続けていた『大企業=安泰』という思い込みは、不等号(><)になったわけです。
平成期は、IT企業やベンチャー企業がマスメディアに取り沙汰されるようになり、働き手側へ夢と希望を与えてくれた存在として、魅了と将来性を感じ始めました。
企業寿命が短くなってきた(東京商工リサーチなどの情報)という事実からしても、終身雇用制度はそもそも採用時点で約束されているわけではありませんので、崩壊とは違います。
いくつもの要因はありますが、終身雇用制度は崩壊したのではなく、国や経済界(雇用主)側の経営戦略、経済施策による必然的な負の結果である、と考えることができます。
早期退職、黒字リストラ、一億総リストラなどのワードが飛び交い始めた昨今、新卒入社した会社で定年まで働き続けられる保証は、そもそも “無いに等しい” のではないでしょうか?
※黒字リストラについて分かりやすい記事はコチラ(THE OWNERへ)>>
だからと言って、不平不満をぶつけるのではなく、そのように変化していくマクロ環境(社会・政治・経済・自然環境)で生きるために、個人の人生戦略が必要です。
つまり、会社組織に「おんぶに抱っこ」ではなく、もし所属する会社が明日倒産しても自立できる状態を創っておくために、会社組織にいながら自発的な「キャリア・デザイン」の実行が不可欠になります。
人生100年時代はさておき、生活苦を回避
一般的に「人生100年時代」を必要な理由として挙げているのは、リンダ・グラットン氏著書『ライフ・シフト 100年時代の人生戦略』の引用からスタートしました。
(人生100年時代構想会議中間報告にて)2007年に先進国で生まれた子の半数が107歳以上生きると推測、という海外の研究結果を引用したことでも、“寿命100年時代” という意識が国民へ浸透してきました。(健康寿命は現在、平均寿命より10歳ほど下)
ただ、現在社会で活躍中の40歳〜60歳代の方々からすれば、「人生100年時代」は理由になりません。もしかしたら、20歳〜30歳代の方々にも当てはまらないかもしれません。なぜなら、自分自身が100歳まで生きているのか、分からないからです。
『100歳までの人生設計を!』と言われても、40歳〜60歳代の方々からすれば、『今更そんなことを言われても・・・』と困惑する気がします。自分事になっていない方もいるようです。
では、10年後、20年後、30年後、40年後に、今と同等またはそれ以上の生活レベルを保持することは可能なのでしょうか?
年功序列型の賃金形態が乏しくなり、サラリーマンの平均年収は徐々に下がっています。年金受給者も、年金額が少しずつ減額されています。年金については40年後に2割減とも言われています。
個人の視点で見た時、将来貰えるだろう国民年金額は減り(または無くなり)、医療費個人負担が増える可能性も出てきました。そして物価の上昇=生活費の上昇、消費税増税などによる家計圧迫の可能性も介在しています。
最近はメディアで「高齢化社会と少子化問題」というフレーズを耳にしなくなってきました。
この問題の源は、収入は減り支出が増える、国・行政の財政圧迫です。“雇用” という領域から得られる税金や保険料は、安定的な財源でした。
それが将来危機的な状況になることを示唆し、『働ける人たちを、働かせよう!』という風潮になったわけです。
定年制を60歳から65歳、65歳から70歳へ。給与の厚生年金控除を70歳から75歳へ‥‥法の改正を模索している背景はここにあります。
働くことは結構ですが、将来の生活費を考えると、それなりのことを考えて行動する必要が出てきます。歳を取ってから生活苦にならないよう「キャリア・デザイン」をする必要性があります。
自立した働き手が自分の働き方を主体的に選ぶケースが増える。主体的な選択をおこなうためには、これまでより深く内省し、自分の選択がもたらす結果を受け入れる覚悟が必要だ。
(出所:ワーク・シフト/孤独と貧困から自由になる働き方の未来図より)
VUCA時代は今始まったことではない
アメリカの軍事用語だった「VUCA」をビジネス界で使い始めたのは、2010年ごろです。
- Volatility(変動性)
- Uncertainty(不確実性)
- Complexity(複雑性)
- Ambiguity(曖昧性)
頭文字を並べた造語(アクロニムと言う)で、戦争・戦場の場面の状態を表していますが、政治や経済界でも変化が以前より早く、予測不可で不安定な状況であることを「VUCA」で表現しました。
ところで、時代を遡って見た時に、予測でき、確実な未来性がある安定した時代はあったのでしょうか?
あるとすれば、戦後の高度経済成長期かもしれませんが、あの時代は未来を作るために全国民が必死に活動した時期です。朝鮮戦争特需や東京オリンピック特需などは、想定されていたものと違います。そして、この時の負の遺産となった多種の公害によって、苦しんだ人たちが多くいたことも事実です。
100万〜200万年と言われる人類歴史の中で、現世の約200年間を振り返ると、それ以前とは比較にならないほどのスピードで、時代変化=生活の変化が起きています。
鉄道普及は行動範囲を広め、飛行機は時間を超えた活動を促し、インターネットは空間を超えた行動を許しました。まさしく「VUCA」に値する激変の世紀と言えます。
つまり、「VUCA」は最近のことではなく以前からあったこと。ただ、近年のインターネット普及やテクノロジー高度化により、複雑性はより複雑になり、情報過多と情報陳腐化によって曖昧さはより曖昧になってきたように感じます。
『日本は大丈夫!』という錯覚が人の中で介在していますが、貧困率15%代の日本、いわゆる格差のある現状は本当に大丈夫と言えるのか?
「犠牲はつきもの」の思考が上層階級(上級国民など)にある以上、多くの方々は自身の将来の生活について、危機を感じてもらうことは損になりません。
働き方や労働スタイルの多様性
昭和時代のイメージは「男は正社員、女は主婦・パート・内職」が主流で、平成時代は「できる者は正社員・起業家、できない者は非正規社員・フリーター」のように分類する(差をつける)傾向がありました。
事実として、正社員、契約社員(期間社員)、派遣社員、パートタイマー、嘱託の雇用形態が選べるようになり、最近はフリーランスや社内起業家と言われる業務委託契約で働く形態も、少しずつ増えてきています。
さらに、契約社員や派遣社員から正社員への登用、正社員からパートタイマーへの変更、正社員から派遣社員への転職など、ライフスタイルに合わせて労働スタイルの転向を自ら行なう人も増えています。
今、働き方や労働スタイルの多様化は徐々に、確実に進んでいます。
ここで考えたいのは、多様化が進んでいるから「キャリア・デザイン」が必要ということではなく、「キャリア・デザイン」を実践している人が増えているために多様化が進んでいるということ。
会社組織が多様化を喜んで促進しているとは考えにくく、働く人の意識の変化と、多様化していく労働のあり方を受け入れざるを得ない社会となったと言える気がします。
設問Q6(d)「1. 残業は多いが, 仕事を通じて自分のキャリア, 専門能力が高められる職場」と「2. 残業が少なく, 平日でも自分の時間を持て, 趣味などに時間が使える職場」の二者択一の設問で, 後者と答えた割合が75.9%
(出所:公益法人財団日本生産性本部/2018年新入社員意識調査より)
近年の『働き方改革』の施策も含めて、さまざまな社会での取り組みがなされている中で、確実に昔よりも「働き方」の自由性、「雇用体系」の選択余地が個人にあります。
個人の「働く」ことに対しての意識の格差が生じていることで、意識の高い人は将来を見据え、低い人は今を求めるような傾向があります。
「キャリア・デザイン」は個人の意識改革とともに、環境の変化に合わせるという点でも必要になってきます。
計画性というより柔軟性が生き残るためのポイントになるのは間違いありません。
働き方や労働スタイルが多様化していく中で、それに順応することはプラスになります。
キャリアデザインが必要な真の理由
「キャリア・デザイン」が必要な真の理由を考えてみました。
- AI化により仕事がなくなる?
- 学校の画一化教育が社会で通用しない
- 平均所得が減少している
- ブラック企業から抜け出す
- AI化の促進が加速することで、仕事・業務の変革は必ず起きます。少子化による労働人口が減少する将来、激変する業界さらに職業があると言われていますから、その情報と動向に自身のアンテナで察知し、いち早く行動することが必要です。
参考:総務省/平成30年版情報通信白書>>
- 『みんなと一緒!』という調和性、協調性を重んじてきた画一性教育は、今の社会に適用しなくなってきました。そのため、新たな学習を行い、人も進化・成長しなければならない時となりました。
参考:文部科学省/次期教育振興基本計画(答申/令和5年)>>
- 法律で定められる最低賃金はアップしていくかもしれませんが、純粋な所得は減少する可能性が高いです。年功序列による年齢給や勤続給の制度がなくなりつつある今、能力給や成果報酬を念頭に臨むしかありません。反対に、生活水準を適切に考え、自身の求めるライフスタイルを念頭に働き方を考えることになります。
参考:厚生労働省/働き方の未来2035>>
- 日本の労働に関する問題・課題が山積みです。
他国より労働生産性が低いこと、長時間労働という労働環境の悪さにより世界的な評価が下がったこと、鬱的病者の増加、自殺が労災認定される時世になったこと、労働人口の減少、などなど。
例えば、『ブラック企業!』とレッテルを貼られてしまうことは、会社の存続にも影響します。サービス残業をなくし、時間外労働を減らし、ワークシェアを導入し、パワハラ体質を改善し、ノルマ強要を見直し、経費従業員負担を無くし、‥‥。このように社内改善が見られない場合もあるため、心身を壊す前に新たな道を見つけることになります。
「キャリア・デザイン」を行なう真の理由を見つけ、行動に紐づけるのは、結局個人になります。個人の未来のための人生設計だからです。
キャリア・デザインの考え方
昨今、国家資格であるキャリアコンサルタントやキャリアカウンセラーと言われる方々が増えてきました。政治的施策(国家戦略)の一つに、個々人のキャリアアップ(キャリア開発など)に対するバックアップを強化している背景もあるからです。その理由はさて置き‥‥
キャリアコンサルタントやキャリアカウンセラーは、一人ひとりの強みを活かした仕事の選択や向き合い方などの “自分に合った職業選択” のプランニング・アドバイザーであったりもします。
その方々の「キャリア・デザイン」に関する支援活動傾向を観察すると‥‥
組織に属する方、または組織へ提案営業する方は「組織の中の個人」、つまり組織視点。
フリーランス系の方、または個人へ提案する方は「人生を歩む個人」、つまり個人視点。
つまり、個人のバックグラウンドや思考特性などに合わせて、提案や活動をしています。
組織視点と個人視点
組織視点のキャリア・デザイン
日本の伝統的・慣習的なバックグラウンドを変革できないために、会社組織的なキャリア・デザインの位置づけは、“職業人生” というより “組織人生” です。
終身雇用制の崩壊とも騒がれてきましたが、今も尚、一つの会社組織に定年まで在籍する方が多いはずです。高齢化と労働人口の減少は雇用する側にとって人材確保に苦労する反面、優秀な人材ほどポジティブな転職や起業で会社組織を離れていきます。
いかに組織の魅力要素を増やし、離職者を減らすと同時に、今いる従業員のキャリアアップ(レベルアップ)を図る必要が出てきました。従来の役職別人材育成プログラムの延長線上でもありますが、「キャリア・デザイン」の意義を伝えつつ、決められたフレームワークで個人に考えさせるよう、努めている様相は伺えます。
つまり、組織のための人材育成の色合いは強く、キャリアパスやキャリア開発プロセスあっての「キャリア・デザイン」であることは致し方ありません。(必然ですから)
組織主導の「キャリア・デザイン」は、組織に適した人材の育成(キャリア形成)になる現実があります。一組織の中での「キャリア・デザイン」は狭義的で、個人の成長を停滞させ、潜在的な能力を開花させずに潰す恐れも介在しています。
社員全員の “なりたい自分” に合わせていたら、組織内は収拾がつかず混乱が生じてしまうでしょう。
例えば、同年新卒さんたちが「将来取締役になりたい!」と願っても、希望する皆がなれることは‥‥。
結局、組織内での “調整” が入り、個人の「キャリア・デザイン」を制限することになるわけです。
『理想と現実は違うんだよ。現実を見ろ! 現実を受け入れろ!』
という上司マインドを埋め込む会社組織があるのは致し方ありません。
確かに『理想と現実』とのギャップについて気づいてもらう必要はありますが、キャリア・デザインは他人から押し付けっぽく決められることではなく、自分で理解し、考えて、決めていくものです。
“理想の自分”(なりたい自分、ありたい姿)があってのキャリア・デザインですから、“理想” のセッティングに対する周囲からの刺激は、慎重を期します。
個人視点のキャリア・デザイン
「キャリア・デザイン」をする上で大切なのは、個人が主体(=主人公)であり、組織は客体(=舞台、環境)であることが前提です。つまり、将来の目標はもとより、個人が組織や職業を選択する権利を有していることを受容した上で、個人の自由な「キャリア・デザイン」をサポートするのが、組織であり社会であると考えています。
個人は組織や社会の中で、組織や社会を活用して、組織や社会と協力して、自らの「キャリア・デザイン」を具現化していきます。組織や社会に依存するのではなく、自らの望む人生を歩むための主体的な選択と決断を繰り返していきます。
進学、留学、就職、出世、転職、転向、起業、ボランティア、結婚、出産、海外転居、定年、再雇用など人生の転機は様々です。その機会の岐路で選択し決断するのは個人ですが、方向性の選択・決断する際に、環境の選択も大事であることを忘れてはならないと考えます。
自らの「キャリア・ビジョン(理想像)」に近づくために環境を変えることは、一つの手段です。転職であったり起業であったり、国内から海外へ生活拠点を移したりすることもあるでしょう。
“なりたい自分、ありたい姿” が明確である場合はその決断はスピーディーかもしれません。“なりたい自分、ありたい姿” がボンヤリとしている場合の決断はゆっくりかもしれません。それでも「キャリア・ビジョン(理想像)」に少しずつ近づくことが、「キャリア・デザイン」の良いところです。
Will, Can, Mustの考え方とリスク
未来の「キャリア」を考える上で、“Will-Can-Must” というフレームワークがあります。
- Will‥‥やりたいこと(個人の希望・ビジョン)
- Can‥‥できること(個人の能力・可能性)
- Must‥‥するべきこと(個人への期待・役割・責任)
これらは一般的に、若年層向けの「キャリア・パス」(キャリア・デザインの一部)で活用されている感が強いです。
海外でこの “Will-Can-Must” を取り上げているWebサイトがあまりないことを考えると、日本独自のフレームワークかもしれませんが、キャリア育成の場面では分かりやすい思考法と言えます。
“Will-Can-Must” の発祥は、ピーター・ドラッカー派生説とエドガー・H・シャイン派生説があるようですが、活用する人と使い方によって、微々な相違があるものと考えます。
ドラッカー派生説
直接ドラッカー氏が言っていたわけではないようですが、ドラッカーについての著書の編者:佐藤等氏によるものと伺えます。
成果をあげるための優先順位として<Must – Can – Will>で考えます。まず「Must=なされるべきこと」、次に「Can=できること」、最後に「Will=やりたいこと」を問うのです。
(出所:佐藤氏 2010)
“Will-Can-Must” が呼び順として主流ですが、活動的には “Must-Can-Will” ということになります。
この考え方は、経営に携わる方々にも有効な思考法ですが、雇用される立場=組織で働くことが前提で、組織内での成長(キャリアパス)を促進するためのものです。
組織で働くことは、自身のやりたい仕事と与えられた仕事がマッチすることは少ないでしょう。「やりたくなくても、やらなければならない」ことが役割であり責務です。組織内で働く際の “Must” になります。
“Must” をこなしていくことによって “Can” =自身のできることが増えていきます。役職が与えられれば、その時の “Must” があり、難題をクリアすればするほど “Can” は自身の中で拡張します。
組織内での信用性が高まることで、自身の求める “Will” に近づくことが可能となります。
ここでリスクを考えました。
つまり、“Must” である「なされるべきこと」「やるべきこと」が、「やらされていること」と捉えるようになった時点で、モチベーションが下がったり、組織への不満が膨らんだりします。
自身のキャリアアップを望む道から大きく外れてしまう危険性が潜んでいるわけです。
『やらされていると思うな。これはお前らの仕事だ! 責任を持ってやれ!』と、組織あるあるのトップダウン型主従関係が成立した時、この “Will-Can-Must” のフレームワークは崩れ去ります。
属する組織を見極め、選択する日がやってくるかもしれません。
7つの習慣の第二領域
スティーブン・R・コヴィー氏『7つの習慣』では、時間管理マトリックスを進めています。
“Will-Can-Must” の “Must=するべきことについて”、時間管理マトリックスの中にある『第二領域』に該当する緊急性が低く、重要度の高い “するべきこと” を充当することを提案します。
会社組織にて業務指示や命令される第一領域を主とするものを “するべきこと” とするのは、安易です。
未来を見越した組織が望むのは、一人ひとりの成長と組織強化です。そこを踏まえて、直属の上司を含めた会社組織が、何を求め、どのようなことを望んでいるのか洞察し、第二領域に該当する自己投資策を講ずるのは如何でしょうか!?
シャイン派生説
シャインも直接 “Will-Can-Must” を語っているわけではありません。
- 自分は何が得意なのか?(コンピタンス)
- 自分は何をやりたいのか?(動機)
- 何をやっている自分に意味や価値があるのか?(価値観)
シャインによる3つの問いは、マイキャリア(または、自分らしいあり方)を自己分析し形成していく上で、年代関係なくセルフ・コーチングにおける重要な問いになります。
シャインのキャリア理論では、自己イメージの開発(またはアイデンティティの構築)に必要な次の3要素を伝えています。
- 自覚された才能と能力
- 自覚された動機と欲求
- 自覚された態度と価値
この概念は全体的な自己イメージにおける能力と動機と価値の間の相互作用を強調する。それらは、我々が自分の得意なことを望みかつ評価するようになるという点、および自分が望むかあるいは評価する事柄で能力を向上させるという点で相互に作用しあっている。
(出所:Career Dynamicsより)
それらを日本人的にアレンジして、❶❶Can、❷❷Will、❸❸Must、とし、人材育成の場において説明しているようです。
組織側の視点で、“組織に属する個人” を設定することが必要だからなのでしょう。自分自身を客体的に、組織にいる意味と価値を考えさせることができます。
ここでリスクを考えてみました。
人事考課=会社からの評価と紐づけた時、❶❶Canは自己評価として受容しやすいのですが、❸❸Mustは自己評価よりも他者評価の色合いが強くなり、“Must=すべきこと” は組織から与えられたものをいかに果たすか、が価値とみなされてしまう恐れがあります。
それによって、個人の望み・欲求・動機となる❷❷Willを果たすことからかけ離れる、もしくはWillを見失ってしまい、モチベーション低下、自身喪失、自己効力感の低下へとつながる可能性があります。
単純に❶❶Can、❷❷Will、❸❸Mustとすることは、無理があるように感じます。
ですが、“Will” を “Want” あるいは “Be” と同義にし、“Must” を “Should” あるいは “Value” と同義にすることで、理解しやすくなり、説得力が増すと考えます。
この際の❸❸Mustは、主体的に自身の価値を見出すことの必要性を鑑みて、“Must=すべきこと” は組織から与えられたものではなく、自ら発見することを前提とします。
As is、Can be、To beとの関連性
“Will” は志向性。
動機・欲求・野望・ビジョンなどで、「To be」に該当します。
“Can” は実力性。
能力・スキル・経験値・強みなどを意味し、どちらかと言えば「As is」の要素です。
“Must” は貢献性。
周囲からの期待・要望・責任などですが、個人主観では現時点での社会的使命・社会的役割と捉えることができます。「Can be」に含まれるでしょう。
キャリア・デザインは個人で考える
“デザイン” ですから、個人ごとのオリジナリティがあって良いわけです。
個人が考え、個人が決めていくことになります。
その際、個人の価値観や信念、ビジョン、嗜好性や思考特性などが大きく関わってきます。
経験や加齢、健康状態、環境などの変化によって価値観や嗜好性などが変わることもありますから、人生設計と言えども途中変更は可能です。
つまり、キャリア・デザインを堅苦しく、完璧を求めて行う必要はなく、ワクワク感やスリルを味わいながら、臨機応変にデザインしていくことが大切と感じています。
「キャリアをコーディネートする」と捉えたほうが、楽しさが伝わるかもしれません。
キャリア・デザインはオンリーワン!
例えば、自分自身の中に書斎のような領域があるとします。
そこへキャリア(知識、経験、スキルなど全て)という本や道具などをどのようにレイアウトするのか・・・
- デスクや本棚などはどうしようか?
- それらのレイアウトはどうしようか?
- 好みのインテリアはどんなものか?
- 本棚の機能性は何を優先しようか?
- 本棚には何を収めようか?
- 本は何を読もうか?
- 本はどのように並べようか?(カテゴリー別?年代別?背帯の色?)
- どこで入手しようか?
- ・・・・・・・・・?
専門書ばかり集める方もいるでしょう。本ではなく、DVDやCDなどのメディアを収める人もいるでしょう。自分で作った作品をレイアウトする人もいるでしょう。
デジタル化やAI化することで、本棚を置かない人もいるかもしれません。本棚ではなく高価なガラスケースを選ぶ人もいるかもしれません。
このように自身のキャリアを収める書斎は、自由に楽しくコーディネートすることができます。
時が経てば、本や道具は増えていきます。欲しくなるもの(新たな欲求など)も現れるでしょう。嗜好性が途中で変わったり、コーディネートの知識を得たりすることで、全体的な雰囲気も変わっていくかもしれません。それに古いもので将来使わないものもありますから、自分の意思で整理整頓を行うこともあるでしょう。
「マイキャリア・デザイン」は個人の自由発想であり、オンリーワンなのです。
マイキャリア・デザインはどこへ向かう?
「なぜ働くのか?」
「どう働くのか?」
「誰と働くのか?」
自問自答した時に、何かを見出だせる状態になるまで、真剣に考えてみる必要がある、そんな時機(チャンス)なかもしれません。
キャリア・デザインを生活の一環として取り組んだ時、 (会社勤めでの)仕事” を主軸とした「安定ワーク型主義」あるいは「ライフワークバランス」的なパターンが、主流になるかもしれません。
仕事とそれ以外を切り分ける「仕事のあり方」ではなく、仕事と生活が共創している「生活・生き方そのもの」となる『ワークインライフ』のパターン、もしくは筑波大学教授の落合陽一氏が提唱した『ワークアズライフ』に紐づくパターンです。
「なりたい自分」「自分らしい生き方」…人生のビジョン、目的、目標などと自らの備え持つキャリアを照らし合わせながら、達成するために必要なキャリアが何かを考察し、キャリアを強化し、時には不足分なキャリアは新しく身に付けたり、弱いもので重要なキャリアは磨いたりしていくのです。それを自分なりに分析し、計画し、実行していくことが個人オリジナルの「キャリア・デザイン」と言えます。
マイキャリア・デザインは自己実現のため
大学の授業にもある「仕事(就業)のため」のキャリア形成を目的とすることは別にして、「自己実現」的職業キャリアをメインとして勧める、キャリアコンサルタントやキャリア・カウンセラーがいることも少なくありません。
キャリア・デザインは「自己実現」のためであることが一般的と言えます。
オンリーワンである「キャリア・ビジョン(理想像)」そのものが自身の欲求・願望であり、活力となるはずです。それを実現するために、活動していきます。
ただ、注視する点があります。
この「自己実現」という捉え方が稀に、「エゴ実現」的になる傾向(最悪、詐欺師など)もあったり、「自己実現」したことでその先が見えなくなってしまうこともあったりします。
例えば、『金持ちになる!』『贅沢な暮らしをする!』『美男美女に囲まれる生活を送る!』『投資家になって遊んで暮らす!』など自己満足的な「自己実現」は、(悪いことではありませんが)お勧めしていません。
「自己実現」は自己満足のためだけのものではなく、他者や社会に貢献できるものであることを願っています。
これからのキャリア・デザイン
デザインする「キャリア」は自己実現、あるいは他人の欲求を満たすだけのそれではなく、これからの時代に必要とされる「共創社会」のためのキャリアである、と考えています。
アドラー心理学でいう「共同体」への意識になるのですが、組織の一員というのは、ほんの一部であって、もっと大きな世界観のある「共同体の一部」という概念が必要になってきます。
コヴィー氏の「7つの習慣」にある「相互依存状態」も同様であると捉えています。
つまり、「マイキャリア・デザイン」をもとに人生を創り上げていくことは、社会の中の個人として、社会との共生へと同時に進めていくことができると考えることができます。
「キャリア・デザイン」は自分の意志であり、今からでも始められるものなのです。