反社会派吉田松陰のコトバと「夢なき者に成功なし」を考える

 

志を立てることから、全ては始まる

by. 吉田松陰(士規七則の付則)

 

『志』!!

これをビジョンや夢、あるいは使命感というコトバに替えたとすれば、それらがあることで私たちは前へ進むことができます。

つまり、『志』がなければ一歩踏み出すこともできないし、結果、成功することもできないのです。

 

その吉田松陰というお方は、学校の教科書にも出てくるほどの人物。

1830年に生まれ、1859年に没。29歳の若さ(若いかどうかの解釈は‥‥)でしたが、偉大さは凄いのでしょう。

当時においてはある意味、反社会派の首謀者になっている、はずです。

罰せられたような方の教えであるのにも関わらず、彼の教えやコトバは今も尚生き続け、現代の人にも適合し、少なからず影響を与え続けています。

吉田松陰の名言・格言が多く語り継がれるのは、人々の心に響いているからなのでしょう。

吉田松陰.1830.9.20生[生地:長門国、没地:江戸]

吉田松陰名言

 

(出典:Wikipediaより)
日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者、兵学者、地域研究家。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者として知られる。
思想は、一君万民論、飛耳長目、草莽崛起、対外思想などがある。
松陰の著作は、中国へも広がる。後に今文公羊学を掲げる康有為は吉田松陰の『幽室文稿』を含む陽明学を研究したといわれる。また、康有為の弟子の梁啓超は1905年、上海で『松陰文鈔』を出版するほど、陽明学を奉じた吉田松陰を称揚した。

 

夢なき者に成功なし

 

成功する者には実行(決断力)があり、
実行ある者には計画(企画力)があり、
計画ある者には理想(構想力)があり、
理想ある者には夢 (受容力)がある。
故に、成功する者には夢がある。

 

by. 私

 

大小関係なく成功した実体験というのは、次に成し遂げたいことへの足がかりとなります。

それは成功した際の行動や計画などを応用し、さらに進化していくわけです。

前記の格言?を考えたキッカケは次の格言があるからです。

夢なき者に理想なし、
理想なき者に計画なし、
計画なき者に実行なし、
実行なき者に成功なし。
故に、夢なき者に成功なし。

作者不詳(出典元不明)

 

ネット上で最も有力な発信候補は吉田松陰とされていますが、『あり得ない!』というメールを直接頂いたので、不詳としています。

どちらにして、的を得ていると捉えています。

この格言は正しい(的確であるという意味)し、昔も今も、そして未来も変わらないのでしょう。

「夢を持て!」た方が良いと私も思っていますが、『夢なき者』が何故いるのでしょうか?

昔と今とでは、政治や法律などの社会を取り巻く環境も人間関係や職業などの生活様相も大いに違います。

「言論の自由」

「職業選択の自由」など

それなりに、自由っぽいものが許されている現代です。

 

昔は、百姓が武士になりたいと思っても簡単になれないし、政治に文句を言えば罰せられるし、理想や夢などの範疇が、今よりも断然狭い世情だったわけです。

 

(そのような国は今もありますが、)日本国の現在はどうでしょうか。

何が理想で夢なのか、掴みどころのない・・・そんな状況の中にいるのではないか、と思うのです。

行動経済学の「選択肢が多いと、選択しない」ということではなく、その「選択肢に何があるのか」を知らない、という状況です。

色々なモノ、コトがあり過ぎて、何があるのかも分からず、結局何が自分に良いのか、適しているのかも掴めない、不思議な時代です。

ちょっと理想を語れば、「現実を見ろ!」「現実は甘くない!」と他人からブレーキをかけられ、ちょっと夢を語れば、「夢では飯は食えぬ!」「お前には無理だ!」と無責任に抑止されることもあるわけです。

 

自由をアピール(強調)し、自由の平等さを謳っているのは建て前であり、自由っぽく見せ聞かせているだけで、他人が私やあなたの自由を奪っている現実の中で生きています。

法律上の「自由」は、錯覚であり幻想なのです。

 

「若い人は夢がない」「目標がない」などと小耳にしますが、夢や目標を与えない家庭や学校、社会環境があると考えている人もチラホラ。

威圧的な中高年者あるいは学校の先生、会社の上司や先輩がいることで夢や理想について語れない、のかもしれません。

 

このことを「因果論」で捉えると、夢や目標を持てないのは、親や環境のせい(責任)である・・・となります。

これを「目的論」で考えると、学校や社会は、全員が各々の夢や目標を持ってもらうと困るので、夢や目標を持たないように仕向けていることになります。

実際、学校の先生の多くは、自身の夢や理想は殆どないはず・・・。

もし「教え子たちが立派な大人になることが先生の夢です」みたいなことを語るような先生がいるなら、確認してみてください。

「立派な大人って何ですか?」

学校の先生(公務員)は、学校社会の経験はあっても一般社会での経験はないわけで、一般知識、学識はあっても、社会的見識はない、というのが現実です。
(これが義務教育のあり方に悪影響を及ぼしています)

 

また個人においては、夢や目標を持ち、それに向かって行動することは、大変なこともあるし、何かあった(失敗した)場合に責任を負えない(負いたくない)。そのため、夢や目標を持たず、他人から与えられる目標やレールに乗って人生を送ったほうが楽ではないか・・・と考えているのかもしれません。

 

つまり、「夢なき者に成功なし」に対して、「成功」を考えていないので「夢を持つ必要はない」‥‥と解釈することも。

 

「成功したい」と願う人は、「夢や目標」を持つことになります

何故なら、成功」=「夢、目標の達成だからです。

「成功」するイメージを想像・妄想することが「夢、目標」であり、その実現・達成が「成功」である、ということを知っているわけです。

 

「成功」の姿というものが未来像であり、人それぞれの自己概念であっても、次のようなことが言える、のだと思われます。

 

成功する者には実行(決断力)があり、
実行ある者には計画(企画力)があり、
計画ある者には理想(構想力)があり、
理想ある者には夢 (受容力)がある。
故に、成功する者には夢がある。

 

by. 著者