「自己ブランディング」は個性重視?人格重視?
「自己ブランディング」とは一般的に『セルフ・ブランディング』『パーソナル・ブランディング』『マイ・ブランディング』などのことを指しています。
呼び方や定義はそれぞれですが、今回は総称として『自己ブランディング』で進めていきます。
テーマは『自己ブランディング』のベースとなるのは、“個性” なのか? “人格” なのか? です。
そもそも “個性” と “人格” は何が違うのでしょうか?
Table of Contents
ブランディングのおさらい
Brand + ing
ブランド + イング
つまり、「ブランディング」とは現在進行形。「ブランド」とは?‥‥ここでは詳細を割愛しますが、一言で表すと「約束」や「信頼」の証です。
つまり、「約束を継続すること」「信頼され続けること」が「ブランディング」である、と捉えることができます。
もし、(個人のブランディングの場合の)「ブランドとは‥‥」“個性”、“自分らしさ”、“キャラクター”など類似したコトバで発信しているビジネス塾やセミナーの講師がいましたら、突っ込んだ質問をしてみて下さい。
『 “個性” とは何ですか?』
『 “自分らしさ” とはどういうことでしょう?』
『 “キャラクター” って、演じればいいのですか?』
‥‥と。
それに対して、
『本来の自分だよ!』
『今自分の持っているものだよ!』
『自身の強みだよ!』
『自分で考えて!』
このような回答が返ってきたら、あきらめましょう。
*「ブランディング」については別ページにて説明しています。
“個性” と “人格” の違いについて
“個性” と “人格” とは何が違うのでしょうか?
日本人が日常使う “個性” “人格” と、欧米でのそれは微妙にニュアンスが違います。
“個性” と “人格” を英訳すると、両方とも “Personality” です。Character や Identityなどとも関係してきます。例えば、“Personality” はペルソナが語源だから‥‥とか、心理学者ユングは‥‥、フロイトなら‥‥、など。つまり、解釈は様々です。
ここから私見です。
“個性” は、遺伝的、生理的、性質的、対外的、体系的であり、そして産まれ育った環境(家族、教育など)や今いる環境(学校、会社など)に大きく依存している傾向が強いもの。
日本では、他人との違いを表現した『自分らしさ』と言われているもの。比較対象があるもの。
“人格” は、後天的、心理・哲学的、性格的、内在的、象徴的であり、そして環境(主に周囲の人たち)に影響を与えるもの。
日本では、道徳的な意味合いが強く、『人格者』『人間性』などと言われるもの。個で判断するもの。
例えば、次の写真。
“個性” が溢れていますが、“人格” は不明です。
では、次の写真。
“人格” が多少なりとも見えてきます。これは、彼女の体験による内在的なものが行動に反映しているのでしょう。
(※ちなみにガガのファンではありません。照)
自己ブランディングは行動で判定される
例えば、次のような行動は、どちらでしょうか?
●歩いている時に空き缶を拾い、ゴミ箱に捨てた。
個性ですか? 人格ですか? ‥‥より “人格” になると思います。
●道端の空き缶を足で器用に立てて、蹴ってゴミ箱に入れた。
これは、個性ですか? 人格ですか? ‥‥より “個性” に近いと思います。
●街中で、ちょっとの段差に苦労している車いすの人に
「手伝いましょうか?」と声をかけ、了解を得て、車いすを押してあげる。
これは、個性ですか? 人格ですか? ‥‥より “人格” になると思います。
●街中で、ちょっとの段差に苦労している車いすの人に何も言わず、後ろから押してあげる。
これは、個性ですか? 人格ですか? ‥‥どちらというと “個性” に近いと感じます。
●スーパーの駐車場で、急いでいたため、枠内ではあったが、斜めに停めて買い物をした。
●スーパーの駐車場で、急いでいたため、一番近い身体障害者用駐車場に停めて買い物をした。
これらは、個性ですか? 人格ですか?
極端な例での質問です。
●刃渡り20センチの包丁を、何に使いますか?
「料理に使います」
「リンゴの皮を剥きます」
「人を刺す道具です」
これらは、より “人格” に近いはずです。“個性” 的ではありません。
しかし、
「(曲芸で)投げて風船を割ります」
「美しさ故にコレクションにします」
となると、より “個性” になるのでしょう。
包丁の使い方は人によって変わる、という点で、親が子に教える場合は、“人格” 面と “個性” 面のどちらを優先しますか?
この考え方は、会社内でも使えます。
会社の従業員に対する扱い方や、営業担当の顧客に対する接し方も、人によって変わる、ということを踏まえた上で、“人格” 面と “個性” 面のどちらを優先するのか? と、考えさせられるポイントになるはずです。
まず自分自身に対する約束をし、
その約束を守らなければならない。
また、
人格よりも個性を優先することは愚かなことであり、
自分自身を改善せずに他の人との関係を
改善しようとすることは意味のないことだ。
自己ブランディングの前にするべきこと
“個性” より “人格” を磨こう
ということになります。
“個性” と “人格” の境界線は、正直不明瞭です。しかし、どちらが優先的であり有効的かと言えば、“人格” を優先すべき、と考えています。
「個性」を否定するのではなく、“人格” あっての “個性” ということです。
「ブランディング」を “個性”、いわゆる他者との外的差異化のための戦術である、と単純解釈してしまった結果、色々な問題が発覚し、課題が浮き彫りになった事実は数多くあります。例えば、
- 大手外資系企業の店員Twitter炎上事件。
- 某乳飲料メーカーの集団食中毒事件。
- 冷凍食品工場での安全衛生管理体制問題。
- 飲食店などでの従業員の裸体画像投稿問題。
- 賞味期限偽装事件。
- 従業員の過労による自殺、労災事件。
などなど。
これらは “個性” の問題ですか? “人格” の問題ですか?
失敗するリーダーの90%は人格に原因がある。
「ブランディング」の基本要素、構造、役割、価値、意図‥‥本質を無視し、蔑ろにした、個性主義、利益主義、自己主義による結果が昨今の企業、個人の姿勢・行為と言えます。
それでは、疎かにしてきた「ブランディング」の構造とは、何でしょうか?
インナーブランドがコアとなる
一般的に言われている「ブランディング」は、個性に該当する「アウターブランド」 の手段がほとんどです。
人格に該当するのが「インナーブランド」と考えると、コアになるのはこちらになります。。
これを磨き忘れたがために、「アウターブランド」が大きく成長するにつれ、その成果と栄光に酔いしれ、ある日、ちょっとした失敗、問題、事件で、信頼・信用は一気に崩れさってしまうのです。
この「インナーブランド」と「アウターブランド」の概念は、目新しいものではなく日本でも1990年代には伝えられていたものです。
強化すべきだと再確認の声もあったほど、なのに、それを忠実に行なった企業(経営者)・個人と、蔑ろにした企業(経営者)・個人の差は、歴然としています。1990年代、ITバブル絶頂から崩壊した時、生き残った企業といなくなった企業でも理解することができます。
本来のブランド構造(一部)は下図にもあるように、「インナーブランド」がコアとなり、「アウターブランド」が形成され、世に広めることができる、と考えています。
核のない細胞は死んでいくように、インナーブランドの弱い企業・個人は衰退するしかない、そんな時代になったわけです。
先ほどの図を見て、ご存知の方はお気づきかもしれません。
コヴィー氏の著書『7つの習慣』の最初に出てくる「インサイドアウト」の概念と類似しています。
インサイドアウトの概念
コヴィー氏は、自身の内部形成、いわゆる人格を確実に形成しながら、それが言動となり、そして外部(周囲)に影響を与えるとしています。
ただ、その人格形成は当然、今日明日では出来上がりません。形成するためには長期的な視点で、習慣化が必要としています。
しかしながら、人は面倒なことが “嫌い” です。楽をしたい気持ちは、誰にもあります。
「今、楽をしたい人」か「将来楽になりたい人」か、という意識によって活動は違ってきます。
「今、楽をしたい人」は、「インサイドアウト」よりも「アウトサイドイン」をメインに活動しやすくなるでしょう。
「インサイドアウト」については別の機会として、これからの「ブランディング」は、“人格” に該当する「インナーブランド」と、“個性” に該当する「アウターブランド」の相対関係を理解し、すべきことを明確にし、実践できるように計画を立てていく必要があると言えます。
上辺だけの「アウターブランド」だけではなく、内面の「インナーブランド」の強化のために、人格形成、人間育成に注力するのは必然と感じていますが、如何でしょうか!?