働き方改革より、あり方改革
『働き方改革』と言われ始めてから、時が過ぎ去っていきます。仕方なく改革しているような素振りの会議と有り触れた施策に目新しさはなく、時流に取り残されないように、そして法に触れない程度に会社組織は、ただ各社内規程・ルールを微々に修正し、淡々と活動をしています。まだまだ多様性(=ダイバーシティ)からは程遠いものです。
そんな会社組織の動きを横目に、個人はひたすら年齢を重ねるだけで、何ら変わり映えしないように感じ……いいえ、残業が減ったり、同一労働同一賃金により所定手当がなくなったりしたことで、実質手取り額が減り、副業を始めたことで “労働する時間” が増えた方がいることも踏まえれば、「働け!の改革」になっているのかもしれません。
すでに『働き方改革』主張のピークは超えました。
次は『あり方改革』が必要な時代と考えます。
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働き方改革の事情
『働き方改革』は国の政策のように捉えている人もいますが、以前からいくつもの会社で動きはありました。それを法整備し、画一化しようと始めたのが2018年関連法の制定です。
つまり、個人に対して、というより法人に対し改革を促進する動きと言えます。
要因は、
- 国内の労働人口減少(少子高齢化に起因)
- 長時間労働の常態化(サービス残業も含め、働くことが美化されてきたのが起因)
- 労働時間に対する生産性の低さ(生産性が悪いため時間が長くなる)
- 雇用スタイルの少なささ(多様性に乏しいのは、人事管理の面倒さが起因)
など。
これらの一般的に伝えられている要因は、納得できるような事ばかりですが、政府や行政が困っているのは、税収の減少、医療費など出費の増大、労働問題や労災に関する事象の変化、先進各国との労働環境の比較で低評価、などがあると考えられます。
そのため、定年退職した見識ある高齢者や、出産育児で働いてない女性や主婦たちに働いてもらう、同時に外国人労働者を受け入れやすい環境を整備するなど、税収増、出費減などの施策が必要となったのは、以前からの話でした。
結果的に、国民全員が(短時間でもいいので)働けるよう試みたのが、『働き方改革』の施策です。
働き方改革を個人が活かす
『働き方改革』が個人を活かすのではなく、個人が『働き方改革』を利用し、自身を活かすことを考える時代になりました。
『働き方改革』のみならず、今後のAI(人工知能)による業務合理化も働き方を大きく変える要因となりますから、未来の自分自身をイメージし備える必要があります。
『働き方改革』はある意味、個人の働き方で自由性が拡がったことを示しています。
会社組織の動向、業界・近隣地元の動向、インターネット上の動向、そして周囲の人たちの動向を洞察した上で、それに追従するのか、その隙間を狙うのか、自身の志向性に準ずるのか、選択肢が増える中で自身の「あり方」を見出すことがポイントです。
例えば、
- 一つの会社組織で長時間働き専門性を高める
- 本業は定時、副業で異業種にトライし見聞を広める
- 本業の所定時間を短縮、フリーランスで強みを活かす
- 趣味・特技の時間を増やし、生活充実度を向上させる
- 会社組織内の異動申請、目的に沿った働き方をする
など。
自分自身の「働き方」は、自分自身の「あり方」がベースとなって定めることです。
しかし実際には、社会人として “働くこと” が当然という意識が “働く” 場所・環境を先に見つけ、その後に「あり方」を見出そうとしています。
結果的に「あり方」の曖昧さが、多くの労働者を苦しめています。
世情の『働き方改革』はチャンスと考えれば、その状況下で活かすも活かさないも自分次第ではないでしょうか。
人生の主人公としてのあり方
以前、「ありのまま」と「あるがまま」について記事にしたことがあります。
参照
「ありのまま」→「有りのまま」‥‥所有の観念
「あるがまま」→「在るがまま」‥‥存在の観念
違いを明確にするため漢字で示した時に「有」と「在」が存在しています。
今回の「あり方」も「有」と「在」を使うと、「有り方」と「在り方」の両方が見受けられます。
辞書では同じ意味で解説されていることが多いのですが、所有の観念と存在の観念で捉えた時、「あり方」とは「有り方」と「在り方」の混成と言えます。
※「混成」とは・・・
ある形式が他の形式に影響を及ぼして,両者の混合した第3の形ができる現象。混交ともいう。
参照:ブリタニカ国際大百科事典より
例えば、
「私は、日商簿記1級を持っている経理担当で将来経理部長を狙っているが、セクハラ・パワハラの上司が嫌いで時々イラつき、計算ミスをしてしまうことがある」
‥‥であれば、“日商簿記1級を持っている経理担当で将来経理部長を狙っている” 私が「有」で、“上司が嫌いで時々イラつき、計算ミスをしてしまう” 私が「在」に該当します。
前者は、能力・スキル・資格・役割・体格・ビジョン・価値観・目標などを備え持つ私を示しています。
後者は、その時点での感情・精神状態・態度・思考特性・行動特性などを表出させる私(の状態)を示しています。
この両方が個人=自分自身を表現しており、この時の自分自身の状態は、自分自身によって作られているいる、と言えます。
つまり「あり方」とは、“自分自身がどうありたいのか?” ということ。
「あり方」を実態的なものにするために “自分自身は何をすべきか?=「働き方」” を見出すわけです。
人生の主人公は自分自身です。
それを証明するためにも、「あり方」の実現のために「働き方」を見直す必要が今なのかもしれません。
2つの自由
「自由」には、2つの概念があります。
- リバティLibertyの社会的自由(束縛からの解放、人工的な自由)
- フリーダムFREEDAMの精神的自由(平穏な状態、自然発生的な自由)
です。
今の日本国内であれば、世界各国と比較してもリバティ(自由)は十分にあると考えることもできます。であれば、フリーダム(自由)についてこれから考えていきたいのですが、人の生きる背景は様々ですから、フリーダムが求められるかどうかは一概に言えないところもあります。
昔と今の自由
リバティが困難であった戦時中、戦後に生きていた方々はフリーダムを手に入れる術を知っていたことでしょう。
小さな幸せを見つけるように、小さなフリーダムを実感しようと探索していたと思います。
現代はどうでしょうか?
この日本では、社会的・政治的束縛状態(例えば、刑務所などの拘留、反社団体など)からの解放が困難な方を除き、リバティ(自由)を得るのはさほど難しくないと考えられます。
しかし、“束縛” という概念を社会的・政治的な束縛、会社組織や契約上の束縛、人間関係等による束縛までも含め、窮屈な閉鎖的環境にいる自己アイデンティティとして形成されている場合、リバティを求めている人は大多数いると想定することができます。
『仕方なく今の仕事をしている』
『食べていくためには会社にしがみつくしかない』
『今更仕事を変えるなんてできない』
『仕事なんてどこに行っても同じ』
このような方は心のどこかでリバティを求めているかもしれません。そこが解放されないまま、フリーダムを優先で求めてしまう人々は、社会などの周囲・環境に対して批判的であったり、類似性行動(集団的行動)になる傾向が強いように感じます。
つまり、『逃走・闘争』反応です。
本来の意味での “束縛” がなければ、人が勝手にバイアス(思い込み)を抱え、“呪縛” のように身動きが取れない状態を自らが作り上げているのかもしれません。
自らの意識を変えることは、個人の自由によるものです。個人の状況・状態を把握した上で、リバティ(自由)とフリーダム(自由)のどちらを先に実現するのか‥‥リバティ(自由)があることでフリーダム(自由)を得やすいのか、あるいはその逆なのか・・・。
それを決めるのは、自分自身です。
環境を変えたら自分の意識を変えられるのか、自分の意識を変えることで環境(の見え方)も変わるのか、という意識の持ち方も自由です。
「人生の主人公は、他人ではなく自分自身である」ことを証明するためには、自由意志を確実なものにするしかありません。
「人生の主人公になる」のか「人生を他人に委ねる」のか、という選択をする必要が生じてきました。
意識次第で、行動や思考は変わります。
「選択や決断」は、社会や法律、会社に左右されるのは仕方ないとしても最終的には、自らが行なうことです。
依存し過ぎて、希望に反し、状況任せの「選択」を行なってしまうなら、後々後悔する可能性があります。自身で「選択」した場合は、社会、会社、他人の所為(責任転嫁)にはしません。
どのような人生を送りたいのか(=ライフイメージ)は、個人が決めることです。
つまり、『あり方改革』は自分自身で実行することができる、ということにつながってきます。
世の動きに左右されない
2019年『働き方改革』に付随する労働関連法が施行されたわけですが、2020年の新型コロナウィルス感染症(COVID-19)によって、人々の生活と仕事の取り組み方を一気に変えました。
在宅ワーク(テレワーク)やテレビ会議が増え、ITシステムも促進されました。人と人との直接の接触がなくても仕事ができ、業務が改善(ムダの排除など)され、オフィスの存在も不要と化しました。
閉店閉業によって仕事を失った方も数多くいます。人手不足だった医療や介護業界ではさらに人材確保が厳しくなっています。
反対に多忙となった業界業種もあり、増員体制の会社組織もあります。
今いる個人の立場と環境はそれぞれですから一概に言えませんが、「あり方」を振り返る機会になったことは事実のような気がします。
今後もCOVID-19、リーマンショックのような世界を大きく左右する状況があると思いますが、それ以外では世の動きに自分自身が右往左往しないよう、「あり方」を軸として人生を歩んでいければと考えます。