「関心の輪と影響の輪」は自己エネルギーの使い方
関心の輪と影響の輪のテーマ
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関心の輪と影響の輪
スティーブン・R・コヴィー氏の「7つの習慣」に書かれている第一の習慣にて、『関心の輪』(circle of concern)と『影響の輪』(circle of influence)があります。
これは、「日常生活において人はエネルギーをどこへ注入(集中)しているのか?」を考えることで理解することができます。
この “エネルギー” とは、自分に与えられた時間、自分自身の意識・思考、身体的な体力、自分の能力、自分の保有するお金などのリソース(要素)などです。
社会で生きていく上での全ての事象・物事の中(例えば、政治・経済・天災などの環境、仕事や老後、人間関係、食事・健康・美・老化、スピリチュアルや信仰など)で、人は関心のあること(もしくは意識を向けていること)と、無関心のことがあります。
個人が関心を持っている(もしくは意識する)事象・物事の全ては、「関心の輪」の内側に属します。
つまり、この「関心の輪」に属する事象・物事に、人は “エネルギー” を注入していると考えてください。
当然、無関心な事柄にエネルギーを使うことはありません。
さらにこの「関心の輪」の領域内には、「影響の輪」という領域が存在します。当然「影響の輪」にも個人の ”エネルギー” は注入されているわけです。
「関心の輪」に属する事象・事柄に対して、個人の意識が繋がっていることになりますが、個人が直接的または間接的に “影響を与える” ことができる事柄を「影響の輪」に位置付けることができます。逆に、個人が “影響を受けている” 対象の事象・事柄は「影響の輪」の外側にあります。
自身の保有する有限の ”エネルギー” を、どこへ、どれだけ、どのように使っているのか? それによって影響を与えているのか、影響を受けているのかが分かります。
つまり、『人生は変容する』と言えます。
今回のテーマは、「影響の輪」の領域と、それ以外の領域に注入するエネルギーの使い方についてです。
新型コロナウィルスに対する人々
2019年末から2021年まで続いている新型コロナウィルス感染症(COVID19)は、一人ひとりの心身のみならず、政府と国民、国家と国家、人種と人種、業界と業界、市民と市民、家族と個人、個人と個人の間(関係性)にもある種の蝕む要素をもたらし、陰を作ったと言えるかもしれません。
ただ、進化、発展が進んだことも否めません。新たなライフスタイルへの転換が急ピッチで進められているのは、紛れもない事実です。
今回の新型コロナウィルス感染症(COVID19)およびその各対策などは、世界中の人々の「関心の輪」に属していることは間違いないでしょう。
自然界の中で生きる目視できないウィルスに対して関心を抱くよりも、人間の動向について関心が高いはずです。
手洗い・消毒・マスク、仕事・テレワーク・失業、自粛・ソーシャルディスタンス・会食、ワクチン・医療関係、生活費・給付金など、人によってエネルギー注入先は違うわけですが、その際に “影響を与えている” のか “影響を受けている” のか、冷静に考える時が来ているように感じます。
外出自粛や会食自粛などの政策などでストレスを感じている場合と、新生活様式(With コロナ)を受け入れ無難にこなしている場合の違いは何なのでしょうか?
新型コロナウィルス(SARS-CoV-2)に対して人間一人ができることは多くありません。政治や経済の動向などに影響されるのではなく、影響を与えるためにできることをスタートする必要があります。
新世紀エヴァンゲリオンの碇シンジ
「新世紀エヴァンゲリオン」に登場する少年少女たちの「関心の輪と影響の輪」を考えてみると、イメージしやすいかもしれません。
(映像:YouTubeより/https://youtu.be/WLHNOS80_W8 )
特に、感情の起伏が激しい主人公碇シンジの「影響の輪と関心の輪」を探ってみましょう。
碇シンジはEVA初号機に乗りたいのか?乗りたくないのか?‥‥場面場面の情動で本人は判断していますが、乗りたくない時の碇シンジは、「影響の輪」の外側にある要素(例えば、父親)に対しての思い、つまり “影響を受けている” と感じます。
綾波レイに対しては、ポジティブな言動が多いことに気づきます。声をかけたり、質問したり、弁当を作ってあげたり。
『新劇場版・破』では、綾波レイと式波・アスカの両名の変化をみると、碇シンジが “影響を与えている” 感が見受けられます。
そして『破』の終盤では碇シンジ自ら『(初号機に)乗せてください!』と意思を伝え戦闘に入る場面では、彼の関心は国民を守ることより敵を憎むよりも「綾波レイを助けること」でした。初号機パイロットである自覚をもち、自分に今できることを選択し、行動しています。それに対して、葛城ミサトが『行きなさい!あなた自身の願いのために!』と叫んでいたのも、彼の思いがミサトに伝わったのだと感じました。
「変えられること」と「変えられないこと」
「影響の輪と関心の輪」について、別の表現を取り入れながら理解していきます。
「関心の輪」の中には、自分自身によって「変えられること」と「変えられないこと」が混在しています。
「変えられること」は個人の意識的、意図的、主体的に考え、行動することで変化が生じることです。
「変えられないこと」は、個人がどんなに努力しても、意見や文句を言っても、変化が生じない、あるいは変化が生じる可能性はあるけど膨大な時間と労力を費やしてしまうこと、などです。
前者(=変えられること)が「影響の輪」の概念に該当し、輪の内側に属します。後者(=変えられないこと)は輪の外側に属します。
「変えられないこと」とは?
「変えられないこと」とはなんでしょうか?
例1)過去の事実
誰もが身近で感じる分かりやすい例として、“自身の過去” があります。
過ぎ去った時間、過去の失敗、過去の経験などの事実を変えることは不可能です。
もし、ドラえもんからタイムマシーンを借りられたとしても、バック・トゥ・ザ・フューチャーのデロリアンでタイムトラベルができたとしても、過去の事実を変えてはいけません草
変えられないはずの過去の出来事について、脳と心の中で多くの “エネルギー” を使っている方は、大型バスをワイヤーで引っ張る(けん引する)軽自動車のようなものです。燃費が良いはずの軽自動車が、余計なガソリンを使い、タイヤをすり減らして微々たる前進または定位置の状況が続くのです。
- 失敗して長期間クヨクヨしている人
- 後悔ばかりしている人
- 失敗が怖くて次に進めない人
- 元カレ・元カノに付き纏う人
- 「昔は良かったなぁ〜」が口癖の人
- 以前の有志を自慢げに話す人
- 以前の方法や考え方に拘る人
- 根に持つ人
など、このような方々は、過去にあった事実に関する一片の “記憶” によって、自身が影響を受けていると言えます。
そこへ “エネルギー” を費やしても、“過去の事実は何ら変わることがない” と知っていても、です。
例2)他人
次の例として、“他人” があります。
他人の考え方、信念、価値観、行動、癖、嗜好などは簡単に変えられるものではありません。
その人が生きてきた家庭環境、教育、体験、体質などによる特性・個性などは、長年の積算によるものですから、変化を与えようとすることは骨が折れます。
そのようなことは本質的に分かっていると思うのですが、無駄に “エネルギー” を投入している方が実際にいます。
- 部下を思い通りにしようとする人
- 思い通りにならないと怒る人
- いじめ、パワハラする人
- 理想の妻にしようとする夫
- 「勉強しろ!」と口癖のように言う人
- 虐待、DVする人
- 他人の悪口を言う人
- 愚痴を言う人
- 「あの人は間違っている」と言う人
- アドバイスをしたがる人
- 正義中毒になりやすい人
など。
意識すればするほどフラストレーションが貯まると、
「なんでお前は、そうなんだ」
「なんで、分かってくれないの」
「なんで俺の言うことを聞かないんだ」
と爆発してしまう状態にまで、自身を追い込んでしまうこともあるわけです。
最悪、暴行・暴力・威力・拘束・軟禁などで他人を変えようとする人が存在することも、紛れもない事実です。
他人を変えようとする人は、“他人” という存在によって自身が “影響を受けている” と言えます。
また、他人に振り回されてしまう人が世の中にはいます。
依存的な人や新人など上司や先輩の言うことを聞かないといけない関係性の場合が、その手です。
自らで考えたり、選択や決断したりすることが苦手な人に多い傾向です。つまり、他人の影響を受け続けるわけです。
その他の変えられないこととしては、政治、経済、社会、地域、法律、先祖・両親、天気、天災、生死、老化など数多くあり、それらについて悩んだり怒ったり悲しんだり哀れんだりしています。必要以上にエネルギーを費やしています。
では、「変えられること」とはなんでしょうか?
「変えられること」にエネルギーを使う
「変えられること」とは、“自分自身” の言動、態度、思考などです。
先ほど例をあげた “自身の過去” について事実は「変えられない」わけですが、出来事に対する感情、感想、捉え方、意味付けなどは変えることが可能です。
失敗した出来事であった場合、自省し、糧として受容し、再挑戦することは自身の考え次第です。
“他人” に対しても同様で、“他人” を理解したりリスペクトしたりするのは、“他人” の課題ではなく、自身の課題です。
“過去” や “他人” などに意識や気持ちが引っ張られず、自身の言動や思考を変えることはできます。
知識、時間の使い方、お金の使い方、人脈作り、ロジカルシンキングの鍛錬、スキル向上など変えられることは沢山あります。
本を読む行為でも、読む前の自分から変わっていることでしょう。時間管理(タイムマネジメント)をするようになれば、時間管理していなかった時の自分より成長しているはずです。
自身の意識が変わることによって、人生は大きく変容すると信じています。
相対的な周囲もいつの間にか変わっていくことがあります。それは直接的に影響を与えたわけではなくても、変わっていく状況を観察して影響を受けていく傾向、という相乗効果です。
まれに『親は変えられない』『名前は変えられない』『性別は変えられない』などと言う方もいますが、その発想がムダなことにエネルギーを使っていると言えます。それらを “変えられないこと” とすればイイことです。
他者に影響される生き方を避ける
変えられないことにエネルギーを使っている場合、「影響の輪」の外側でエネルギーを放出している(垂れ流し状態)ということになります。
フラストレーションは増え、不安や怒りの感情が溢れ出し、責任転嫁したり八つ当りしたり、時には生活のリズムが崩れ健康を害し、悪化すれば精神的鬱にもなることさえもあります。
変えられないことにエネルギーを多く使う人は、“反応的な生き方” とされています。出来事の刺激情報に対して論理的な考え方をすることができず、感情や情動もしくは過去の経験の反復によって言動してしまいます。つまり、自身以外の他者に影響され続けている生き方と言えます。
逆に変えられることにエネルギーを多く使う人は、“主体的な生き方” としています。
主体的な生き方をする人は、変えられることにエネルギーを注入するため、日々変化が生じていきます。つまり「影響の輪」は拡がる一方です。
反応的な生き方をする人は、変えられないことにエネルギーを使用していることで、「影響の輪」は次第に萎む状態になります。
結果的に他者に依存している、左右されている生活となり、そこに幸せや楽しさは減っていくことでしょう。他者に影響される生き方を避けることは、誰にでもできます。
『「質の良い人◯」と「質の悪い人◯」の格差』のページでも書きましたが、自身による「選択と決断」が人生の質を変えるでしょう。
なぜ「影響の輪」に “影響” のワードが使われているのでしょうか?
それは、主体的な自分自身の変化によって、その周囲に影響を及ぼしている、周囲が影響を受けている状況になる。だから “影響” が使われているのでしょう。
つまり、「中心的な存在」になっているということです。
中心的な存在になりたいためにそのように行動するのではなく、「主体的な生き方」をすることで中心的な存在になったと考えられます。
家庭の中の大黒柱のやるべきこと、部署での上司のやるべきこと、社内での経営者のやるべきこと、そして何より、個人の内外(心と身体、脳と行動など)のために自分自身がやるべきことを早急に見出だし、自身の有限かつ有益なエネルギーを注入してはいかがでしょうか。
ちなみに‥‥「7つの習慣」の中で、「自己中心的な人」はこの影響の輪と関心の輪が逆転する、とのこと。つまり、自分のこと以外には関心がないということなのでしょう。