シン・蛇口哲学〜人の源泉を創る〜
「シン・蛇口哲学」(※勝手に命名しました)とは、
『自分から発せられるもの全ては、「蛇口」から!!』と考えたことです。
コトバ(言霊)、態度(動作・所作)、表情、感情、念、祈り、絵や音楽などの創作物など全てです。
蛇口は源泉と繋がっています。
つまり、自分自身が発せられた全てのものは、源泉から蛇口までに作られた “結果” ということになります。
源泉から蛇口までの全部を、自分自身で選び、創ることができます。
倫理法人会の金子袈裟巳氏が語った「蛇口理論」というものがあります。
倫理法人会とは無関係で、金子氏の談話を聞いたこともありませんが、人伝で蛇口理論の説明を受けました。比喩表現ですが、例えとして、
『あなたの存在の根源は先祖』です。このことは、一生変えられない事実(つまり宿命です)。『両親がいるから、今のあなたがいる』ということ。『このことを謙虚に受止め、先祖・両親を敬うことが、あなたを大切にすることにもなる』という内容のようです。
シン・蛇口哲学
「シン・蛇口哲学」は、私が考えた別視点での話しになります。
あなたの蛇口を開いた時、どんなものが出てきますか?
‥‥‥
- 透き通った純水?
- あま〜い香料を入れた水?
- しょっぱい塩水?
- 嵐の後の濁った水?
- ヘドロのような腐った泥水?
など。
‥‥もし出てくるものが気体であれば、
- 自然の中にいるような清らかな空気
- その場を一瞬にヒンヤリさせるような冷気
- 気を許してしまうような暖気
- 異臭を籠らせた空気
- 酸欠になりそうな薄い空気
- 黒い煙のように視覚を遮る空気
など。
‥‥時には、
- ダイヤのように人を輝かせるモノ
- 石炭や石油のようなエネルギー源
- 川辺や海底の石ころにような無価値のモノ
など。
源泉から蛇口までの全ては、自分の中に存在しています。
自分自身の源泉は、創り上げることができます。湧水による源泉なのか、川などからの流水による源泉なのか、などを選ぶこともできます。
ただ源泉は、純朴で薄弱なものです。外部環境の影響を受けやすいため、汚染したり破壊したりもします。
汚染された源泉から蛇口にたどり着く前に、浄化槽などの機能があります。濾過したり、溶液で浄化したりできますが、その機能が高性能か低性能か、自身の能力が試される時です。
そして蛇口から、そのままのモノが出るわけです。
長年放置してしまった源泉は、とてつもなく酷いものになっていることでしょう。それをキレイにするために一旦壊し、新しい源泉にするには時間や労力が膨大にかかります。つまり、自分の蛇口から素敵なものを出すためには、それだけの勇気と努力と継続が必要になるわけです。
源泉に影響を及ぼす外部環境へも、何かしらの行動・コントロールをすることが大切になります。
家庭での蛇口は、蛇口を開けば水道水が出ます。源泉が一つなので、ある程度安定した水が出てきます。しかし、人の持つ蛇口は、源泉が安定していないことが多い。要因は、一貫性のなさ、メンタルの弱さ、そして源泉などをキレイにする術を知らない、などが挙げられます。
このシン・蛇口哲学は、コヴィー氏のインサイド・アウトの考え方でもあるのです。源泉を安定させ、確実なものにし、そして蛇口から出るものが、周囲の人に対して良いものであるならば、どんなに素敵な人生になるでしょうか。その源泉を良くするための努力を日々する必要があります。
あなたの持っている蛇口から何を出したいですか!?
どんな源泉を創りたいですか!?