あり方改革~人生フレームの変更~
人が生きていけるのは、フレームの中のみ。それはテリトリーとも言える領域・場・空間。
人は自分が知っている(認知している)範囲のみで生きていける。知らない場所、知らない業界、知らない手段で生きていくことはない。
果てしない宇宙の中の地球で生きる一人として、短い人生にどれだけのことを知って生きているのか、それすらも分からない。
知っていることが多ければ(増えれば)、活動の範囲、思考の範囲、想像の範囲、言語の範囲などが拡がる。
それにより生きていくフレームを広げることができる。
目に見える外的なフレーム、見えない内的フレーム、共に。
さらに、カテゴリー毎のフレームも同様。例えば、時間的なフレーム、人間関係フレーム、環境的なフレーム、思考的なフレーム、仕事としてのフレーム、価値観的なフレーム、趣味系フレーム、健康系フレーム、など。
自分自身の生き方、歩み方、あり方はどんなフレームの中だろうか?
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あり方基軸フレームの3タイプ
人生を客観的な視点で捉えた時、3タイプの活動フレームに分類することができる。
それは、次の3タイプ。
- 「他者フレーム」
家族や周辺の人に決められたフレームの中で生きていくタイプ - 「選択フレーム」
複数の既存フレームから選択し、その中で生きていくタイプ - 「オリジナル・フレーム」
既存フレームを独自(オリジナル)化して生きていくタイプ
他者フレーム
「他者フレーム」の特徴は、
- 自身の人生という舞台で主人公ではなく脇役になっている
- 主体性に乏しく、活動範囲は狭く、思考力が単純
- 自身のビジョンや夢などやりたいことが少ない
- 自己肯定感が低く、自身の存在価値を見いだせない
- 他者に依存しており、責任感が少ない
他者とは人だけではなく、社会的・伝統的(慣習的)なパラダイム(=思い込み、常識、既成概念など)によるものも含む。
日頃から、他人のせい(責任)にする人、親のせいにする、会社のせいにする人、社会・時代のせいにする人は、他者ら与えられたフレーム内にいることが殆ど。
他者フレームは依存的だから、主体的なフレームに変える必要性があるのに、その方法を知らない。
知れば変えることができる。
選択フレーム
「選択フレーム」の特徴は、
- 人付き合いが上手く、仲間意識があり、真面目
- 他人の良さを見抜き、真似をしようとする(モデリング)
- 大半の人と同じであることに安心感を覚えてる(孤独への不安)
- チャレンジ精神に乏しく、目標設定も無難
- 人脈によっては、行動領域が狭い
狭いフレームである場合、決めたら固執する、人のアドバイスを受け難い、人間関係は狭く深く、自己成長をさほど望まない、なども。
最悪は「自分以外は誰も信じない」もしくは「自分が嫌い」という状態になる可能性も出てくる。
家族や学校の先生、友人などからの情報や助言をもとに、時間をかけて考えた後に選択した自分なりのフレームのため、それが正しいと思い込み、変化を好まない傾向もある。
融通の利かない(柔軟性のない)フレームであれば、変えることが好ましいが、その方法を知らない。
知れば変えることができる。
オリジナル・フレーム
「オリジナル・フレーム」の特徴は、
- 主体性があり、行動力があり、独創的な思考
- 自身の人生の岐路で決断し、結果に対して責任を持つ
- 好奇心が強く、一つに拘らない
- 好き嫌いが激しく、人と違うことを好む
- ビジョンや目標が明確になると、何度もチャレンジする
オリジナル・フレームの場合、自分軸があり、信念や価値観が明瞭である。
他人の意見や助言を聞き入れないこともある。他人から見れば、我が道を行くようなタイプかもしれない。
主体的なフレームのように見えて、ただの自我中心的フレーム、利己的フレームであるならば、変革することが望ましいが、その方法を知らない。
知れば変えることができる。
フレームのチェンジ
これまでのフレームに慣れてしまっている人は、チェンジする(変える)ことに抵抗があるかもしれない。ただ、自分自身の人生を変える必要があれば、変える意識が必要になる。
変えると言っても、他者によって与えられたフレームに乗り換えても、鞍替えしただけでは依存していることと同様になり、(それが悪いわけではないが)結果的に不満やネガティブな生き方になる可能性は高い。
人生の主人公であり、演出家であるのは、自分自身。フレームを変えることも編集することも自由でなければならない。
自由ではあるが、大切なことは “自分軸” があること。
自分軸とは、強固な信念、哲学、思想、価値観による自分のあり方、あるべき姿。この自分軸を当方では「心幹」と呼んでいる。
極端な例えで言うと、
- どんなに貧しくても、他人のモノは盗まない
- どんなに金持ちになっても、他人の心を傷つけない
- どんなに辛くても、やると決めた以上はやりきる
- 誠実、正直、勤勉は、私のモットー
- 差別を許さず、看過しないことが私の信念
- 挑戦し続けることが私の使命
など。
自分軸と境界線
フレームを国で例えるなら、自分自身は国王。映画で例えるなら、自身は監督。会社組織で例えるなら、自身は社長。
- 他人から与えられた国で、改革も許されない、法律も決められない国王になりたいだろうか?
- 他人から与えられた脚本と俳優やスタッフなどで、指示も出せない監督でいたいだろうか?
- 他人から任せられた会社と社員で、理念や目標もなく責任だけある社長でいたいだろうか?
自分軸(心幹)は、日常の考え方や活動において基軸となるもの。人生において、自身のあり方を決めるのも自分軸があってのことであり、よって今回のフレームも自分軸に沿ったものになる。
- 許せる事と許せない事の “私” の境界線とは?
- 良い行為と悪い行為の “私” の境界線とは?
- 信じる事と信じない事の “私” の境界線とは?
- 助ける人と助けない人の “私” の境界線とは?
- 努力する事と努力しない事の “私” の境界線とは?
- 必要な事と不要な事の “私” の境界線とは?
- やりたい事とやらない事の “私” の境界線とは?
自分軸が確立されているなら、境界線は柔軟に変えることができる。
先ほどの境界線を文字化したとしても、それは空想(架空)のものであり、自らが勝手に線を引いたようなもの。その境界線を越えたからと言って、他の人の領域に足を踏み入れたわけではない。
他人によって引かれた境界線であれば、尚更。その境界線を越えても、支障はない。
勿論、社会的ルールやマナーは守った上で‥‥。
自分の人生、自身のあり方について、笑い、楽しみ、そして豊かになるためには、自らの基準=自分軸=心幹を明確にし、判断基準を改めて考え、フレーム(境界線)をチェンジしていくことは今からでも遅くない。
人が物事を判断する際に、選択肢のある分岐点では自分軸をもとに決断する。右往左往することもあるが、それでも選択できる。
その分岐点から一旦、来た道を戻ることも選択肢のひとつ。
さらに分岐点をズラすことさえできるし、分岐の数を増やすことさえできる。
そうする理由には、自身の納得するしないの基準があるから、と考えることができる。
人生において、自身の主体性と自律性で物事を判断し、決断し、それによる結果に対して責任をもつ(とる)ことがポイント。
主体性と自律性によるフレームであれば、他人に責任転嫁することも減り、そもそも他者や外部環境に左右されず(振り回されず)に済む。
すると、周りの人たちからは『芯がある人』『芯が強い人』『自分(の信念)を持っている人』などと評価する。
つまり、“自分軸=心幹” を備えた人生を歩むことになる。それを目指すために、当方では「志向化」を促している。