脳のカオス領域から生じるアイデア説
『アイデア(閃き)』が生じる時は前触れもなく突如!という感覚です。
パッと「意識」と化した、それ以前『アイデア』そのものは、脳のカオス領域で隠れんぼでもしていたのでしょうか。姿を表した時は『見つけてくれないから、出て来てあげたよ!』と言いつつ、その異様な格好には主も驚きを隠せません。何せ、見たことのない姿なのですから・・・。
さて今回のテーマは、脳内の「アイデア」と「カオス」について。
「カオス」とは“混沌”と訳されるのですが、混沌と聞いても・・・何だろう?って感じでしょう。
ギリシャ神話に出てくる原初神で、有限を超越する無限を・・・・・・と言っても余計に分からなくなるので、一般的イメージだと、宇宙ができる前の状態がカオス。(だから見たことないから分からん!)
チリが集まって地球が誕生する瞬間もカオスの状態・・・・・・と、何度も言うように「分からん!」です。
科学で『予測が事実上不可能』な状態、とされているものですが、難しいことを語るつもりもなく(というより、説明できないので)、人の“アイデア”と“カオス”は繋がりがある、と考えてみた自論です。
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脳のカオスの領域
人がアイデアを出す時に、『アイデアを出そう!出そう!』としても出てくるものではありません。
どちらかと言えば、入浴中や休暇中などリフレッシュしている時、睡眠直前や目覚めの時、あるいはトイレの中で用を足している時・・・アイデア出そう意識が遠くへ離れてしまっているような時などに、瞬間的に閃くような感じを受けています。
脳内の「意識」と「無意識」の間で、情報伝達、あるいはエネルギーの流れが生じているのですが、何かの拍子に繋がる(?)ぶつかる(?)ような……本当(マジ)で通電して点灯してしまう感じなのでしょう。
それが“アイデア”へと結びつきます。(脳科学的神経細胞の話しではありません)
そこでの「意識と無意識」というのは、学説上でも明確な境界線(ライン)があるわけではないようです。脳の部位の働きからすると区別されている? のかもしれませんが、「意識と無意識」の狭間(混在?)が“カオス”状態ではないかと考えたのです。
この“カオス”は無の領域ではなく、有の領域であり、無秩序的な脳内エネルギーが常に行ったり来たり、速くなったり遅くなったりしており、その領域で「意識と無意識」が繋がり、アイデアとして起こりやすいのだと思っています。
街に繋がる道は霧の中
(勝手なイメージ例ですが、)
今住んでいる場所(街)が「意識」の世界。霧のようなモヤがそこを取り囲み、360度見渡す限り、住む街の向こう側の“何か”は見えません。つまり「無意識」の世界。大都市あるいは町村があるのか、山脈や大海に囲まれているのか、もしや湖畔や滝のある絶壁、洞窟や氷河などが連なっているかもしれません。
その“何か”に繋がる道や川が四方八方に多数あるわけですが、街から視るそれらは霧によって何となくぼんやりとした景色の一つです。
濃霧が視界を遮っていますが、そのぼんやりとしたところの先が“カオス”界。
天候不順により「視界●●メートル」という表現がありますが、短い距離だと霧が濃い状況で、もし車で走行しているなら、進もうにも怖いため、低速走行となります。逆に、視界の距離が長いとぼんやりでも先が見えるので速度もアップできます。
(脳内の街では)道路や川路が沢山巡らされていて、さらに毎日新しい路が完成したり、閉鎖されたり、工事中だったり・・・。
そんなある日、霧でぼんやりとした道を歩いていると、輝しく素敵な人と出会い、一目惚れ。この時のドキドキ感は、鼓動を早め、視界が開けた瞬間でした。霧がサッと遠ざかるように。
これが アイデア!
(そこから結婚できたら、イノベーション!)
アイデアは直感から
アイデアが出る、出ないは、その道路が沢山あるのか‥‥にも影響されると思うので、道路を沢山造るために、知識や経験などを増やす必要もあります。
脳科学的にいうところの「シナプス」(情報伝達放出場所)です。
さて、ここで天才発明家ニコラ・テスラの格言に、『直観は、知識を超越するものである。』とし、『演繹的な論理や計画的な努力は、取るに足らない。』とあるのですが、つまり『直観』というものを高く評価していると判断できます。
『直観』とは
『直観』とは(Wikipediaより)
知識の持ち主が熟知している知の領域で持つ、推論など論理操作を差し挾まない直接的かつ即時的な認識の形式である。・・・知識の形式とは異なっている。・・・
直観は本能とは異なっている。本能は必ずしも経験的な要素を必要としない。・・・
心理学において、直観は問題の有効な解決方法を知り、意思決定を行う能力を含んでいる。
『直観』は知識や経験があってのものということです。
さらに、
一般的に、しばしば直観は第六感として受け止められる。明らかに人間の内部では数多くの無意識の過程が発生しており、それらの無意識の信号が充分に強くなれば、意識として経験される。・・
・・・直観に貢献する情報は、人間が気にも留めない周囲の環境の差異に対する、ほとんど無自覚的な観察から得られる。
※ちなみに、「直観」と「直感」は違うようです。
テスラの言う『直観』がアイデアとするなら、「無自覚的な観察から得られる」‥‥、つまり意識していない観察(イメージでも良い?)中に、生じさせる(得られる)可能性があるわけです。
その「無自覚的な観察」の場所を“カオス”と考えることができるのでは‥‥。
アイデアは予測不可能
「カオス力学」的には、初期値の精度の誤差によって、結果にもズレが生じるということで、その初期値は無限であるが故に、予測不可能であるという理論です。
人の「意識と無意識」の世界の初期値は無限だと思います。この世に生まれた直後から考えても、人によって環境など様々です。遺伝や生態的、生得的なものまで考慮すると、先祖代々まで含まれてきます。
「あいつの行動、予測不可能だよなぁ」とか「あの子の考え、予測できない」とか稀に聞きますよね。
そんな人が周囲にいませんか?
アイデアを出す行為は、予測不可能なわけです。
テスラが言うような「演繹的論理や計画的な努力」なるものは、人によっては予測できるものもあったりしますが、それを超える『直観』が予測できないものとするなら、それを生み出すであろう脳内のカオスは、広い方がいいであろう、と考えることもできます。
例えとしての数値で表現すると、
5%が「意識」で、95%が「無意識」と言う人もいれば、10%が「意識」で、90%が「無意識」と言う人もいれば、1%が「意識」で、99%が「無意識」と言う人もいるわけです。
もし、(例えとして)
1%が「意識」で、99%が「無意識」とした場合ですが、99%の「無意識」のうちの4%から9%が「カオスの領域」と考えて、4%より9%の方が、よりアイデアを得るのに良い、のではないかと思うのです。
そのためには、「もっと知識と経験を積みましょう」ということになるのですが!
さらに考えると、普段の生活習慣、マインドなども重要であり、いかに自分が予測不可能な状態を作れるかということでしょう。