真のキャリア概念と強化
『キャリア』とは、
職業・経歴・学歴などの職業キャリアではなく、人の生き方を決定づける「自らの意志・意識にて出し入れ可能な能力」と捉えています。
会社員として組織で働いていても、自ら事業(個人事業、フリーランスなど)を行なっていても、あるいはボランティア活動を継続していても、「キャリア(能力)」は自ずと身に付いていきます。
ただ、それだけでは『真のキャリア』にはなり得ないと考えています。
Table of Contents
「真のキャリア」とは
一般的な「キャリア(Career)」は、個人の経歴や学歴、経験、職務スキルなどの職業キャリアを指しています。(携帯電話会社のキャリア(Carrier)とは違います。)
しかし、今や職業キャリアだけでは満足のいく生き方を歩めなくなっていることに気付いている人は少なからずいるでしょう。
それが明確に現れているのは、定年後・退職後の過ごし方の落差(精神的格差)です。
定年後・退職後のことだけではなく、ワークライフバランス推進、イクメン制、女性管理職割合増の推進などなど、社会の雇用環境変化、ダイバーシティ導入、制度変革(誰の思惑とかは抜きにして)による仕事・会社を中心とした生活から、個人の生き方を重んじる職業生活へとシフトしたため、個人の能力は職業キャリアのみならず、個人の生き方に関わるキャリアが必要になってきました。
問題として、これまでの日本での義務教育、会社等での研修では、そのようなキャリアの育成は成されていません。
子供時代から社会人になってからも、会社組織・団体組織に都合の良い教育・研修プログラムだからです。
「メンター制度」の名のもと、新人教育・後輩育成をしている会社組織がありますが、別段 “メンター” でもなく、ただ先輩として新人・後輩に教えるだけの制度(評価制は別)になっています。
本質的にメンターやロールモデルは、本人が理想とする人、尊敬すべき人でなければなりません。
会社組織のメンター制度は、新人・後輩の意思ではなく組織内で決めた先輩を教育係にしています。「業務スキル」や「関係性」は向上するかもしれませんし、また教育する側の先輩も「教えることで学ぶ」成長は事実あります。
先輩自身を信頼できない新人・後輩からすれば、ただの教育係でしかないのです。
小学校や中学校では、先生(教師)を「先生」とは呼ばず、(不良生徒ではなく普通の生徒から)名前やあだ名で呼んでいる状態、先生に対して丁寧語(ます・です)で会話しなくても怒られない現実が見受けられるようになりました。
生徒にとって先生は、教科書の中身を教えてくれる存在でしかないのです。
学校や会社の育成環境では、『真のキャリア』はさほど身に付かないと言えるでしょう。
「キャリア(Career)」を職業・経歴・学歴などの狭義的なことではなく、生活全般(人生・生き方)における
「自らの意志・意識にて出し入れが可能な能力」
と理解しました。
(「宝の持ち腐れ」の能力は、キャリアとは言えません。)
以前書きました「セレンディピティ」(=偶然または聡明さによって、予期しない幸運に出会う能力)のような察知・発見能力は、自分自身の無意識領域での能力であって、意識的に出せる能力ではありませんが、色々な場面において意識的な興味、察知、分析、結合などがあってこそ発揮する能力です。
それらを意識的に行なえない場合、察知・発見することなどできないと思われます。
「セレンディピティ」は、米大学心理学部教授ジョン・D・クルンボルツ氏らによる「計画された偶然の出来事(プランド ハプンスタンス)」に類似しています。
「計画された偶然の出来事(プランド ハプンスタンス)」について>>
もう一つの「キャリア」
「キャリア(Career)」とは別に、「キャリア(Carrier)」があります。
この「キャリア(Carrier)」は運搬する手段などの意で、一般的には「キャリア(Career)」と「キャリア(Carrier)」を繋げることはありません。が、今回は含めて考えます。
自分自身が運搬手段=キャリア(Carrier)であり、保有している能力=キャリア(Career)をその場、その時に必要なものとして出し入れできる有機体ということです。
この持ち運びできる能力は、「ポータブル・スキル(Portable Skill)」と呼ばれています。
※「ポータブル」とは、
携帯可能な、可搬な、という意味業種・職種関係なく、どんな仕事や職場でも活用できる汎用性の高いスキルと言われ、
- 専門的知識や技術など、資格や経験レベルなどで測定可能、証明しやすいスキル
- 洞察力、行動力、決断力、リーダーシップ力など測定不可、視覚化しにくいスキル
この2種類を主軸とするものが「ポータブル・スキル」です。
自身本体を運搬「キャリア(Carrier)」として、備える能力=「キャリア(Career)」を環境や場面などに応じて意志・意識によって、活用できるものでなければならないのです。
例えば、高機能のスマートフォンを持ち歩いているとします。電話とメール、SNS、ネットサーフィン、アプリゲームしか使えないのであれば、その程度のキャリア(Carrier)と同等になります。つまり高機能かどうかは関係ありません。
スマートフォンのツールを使って、仕事管理、顧客管理、タイムマネジメント、健康管理(ヘルスマネジメント)、楽曲やデザイン制作、ナビゲーションなども使えるならば、高機能としてのキャリア(Carrier)となるのです。
「キャリア(Career)」がソフトであれば、「キャリア(Carrier)」がハード。
この両方のキャリアがあることによって『真のキャリア』になると考えています。
当方ではこの『真のキャリア』を総称して「パーソナル・ケイパビリティ」と命名しました。
「キャリア」を活かすかどうか
個々人が備える「キャリア」は様々です。
ここで問題として挙げるなら、
- そのキャリアを活かせているのか
- 周囲に認知されているのか
ということ。
従来の会社でのキャリアは、貢献度などの評価による出世や昇格などに利用されてきたものですが、今では個人を活かす能力として使われています。
会社に雇用されるためのキャリア、いわゆる「エンプロイアビリティ(Employability)=雇用される能力・就業能力」もその一つで、人事異動や転職を前提とする社会の中で通用する能力、環境適応力も含めた個人の能力の開発推進の流れが2000年代以降、浸透し始めました。
その当時、社内のエンプロイアビリティ強化を推進するために、従業員のための教育体制を拡げようと私は試みたのですが、経営者側からすると費用(コスト)が余計に必要なこと、そして従業員側は個人の能力開発をそれほど望んでいないという現状が垣間見れ、結果的には大きな前進はありませんでした。
他の会社も同様ではないかと思われます。
今は『ワークライフバランス』『働き方改革』などの動向により、エンプロイアビリティ強化は進み始めています。
個人の成長を望む人においては、自ずと能力開発の修学を進めていきます。
会社組織内でのキャリア、いわゆる伝統的線形キャリア(階層型昇進)に関わらず、どの会社でも活かせる能力、自分自身が強化したい能力というものを、自己分析の中で見つけ出し、そこにエネルギーを費やしています。
自身の成長している姿を自己評価してみると、歩んできた日数、経験に応じた成長をしているのかどうか? ‥‥ということを自己分析することが出来ているか? ‥‥
それをせずに、何となく時を過ごすのは勿体ない人生を歩んでいることに他ならないわけです。
昨日の “私” と今日の “私” が同じではいけないのです。
それは、1日24時間=1440分、全く同じ行動をしているわけではないのですから。
しかし、そこに意識・意志というものが働いていないと、(習慣化された無意識的行動で日々を送ると)何となく過ごした感(惰性)の1日で終わるという生活になってしまいます。
本当に勿体ない1日であることは間違いありません。
学生も若い社会人も必要なことですが、中高年の人にもお勧めしたいのが「キャリア・デザイン」です。
『キャリアデザイン』は、
生活全般(人生)におけるキャリア(能力)を自らの意志にてデザイン(コーディネート)することです。「ブループリント=人生設計」の概念に近いものとなります。
(※ここでのブループリントは、“魂の人生設計” とは違います)
「キャリアデザイン」の概念は、複数の大学の学科にある「仕事(就業)のため」のキャリア形成、あるいは、一部のコーチ/カウンセラーが強調する「自己実現」的職業キャリアなど、いくつかの解釈があります。
当方の目指す「キャリアデザイン」は、「自己実現」より「自己超越」を目的とした「キャリアデザイン」です。
心理学者アルフレッド・アドラー氏の「他者貢献」の要素、そして世界的に有名なコンサルタント、スティーブン・R・コヴィー氏の「相互依存」をコアとする「自己超越」状態にすることです。
諦めムードになりがちな人が多い世情ですが、そのような人たちに合わせる必要はありません。
60歳、70歳、80歳まで(良い人生という意味で)働かなければならないわけで、「諦めるにはまだ早い!」‥‥これが心の中の声ではないでしょうか。
これからも「できること」は沢山あるのです。
「できること」と言えば、人の脳の覚醒を題材にした映画「ルーシー」。能力が次第に高まっていきます!^^