「キーネーシスとエネルゲイア」〜グルーチョ・マルクス名言とアドラー論〜
昨日は死んだ、明日はまだ来ない。 僕にあるのはこの1日だけ。 だから僕はハッピーに過ごす。
Yesterday is dead, tomorrow hasn’t arrived yet. I have just one day, and I’m going to be happy in it by.
アメリカの俳優、コメディアン、作家でもあったグルーチョ・マルクスの語るそれは、「エネルゲイア」によるものと捉えることができます。
「エネルゲイア」とは、紀元前に生きていたであろう古代ギリシアの哲学者アリストテレスによるもの。アリストテレスによれば、人間固有の活動は「エネルゲイア」としています。
その比較対象とする考え方が「キーネーシス」です。
では、「エネルゲイア」そして「キーネーシス」とは何でしょうか?
そして「エネルゲイア」および「キーネーシス」は、私たちの生き方においてどのように影響し合っているのでしょうか?
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アリストテレスの「エネルゲイア」と「キーネーシス」
「エネルゲイア」(Energeia)は “活動” の概念であり、「現実活動態」「発現活動」とされています。“現在進行” と “完了” が同時に成立する行為です。
「キーネーシス」(Kinesis)は “運動” の概念であり、「目標達成のための動的行動」とされています。“現在進行” と “完了” が同時に成立しない行動であり、目的に向かう未完了的なプロセスの状態です。
例えとして、山登りをする人がいるとしましょう。
山登りをする人の目的が山頂(目的地)にたどり着くことであるならば、その目的地に向かう際の行動は「キーネーシス」的であると言えます。
山頂(目的地)に到着した時点で目的は達成され、山登りの行動は終了します。つまり、山登りを始めるという始点、山頂に到着したという終点があり、始点から終点直前までは“現在進行”かつ“未完”であって、終点によって“完了”するプロセスがあります。
その山頂(目的地)が高かったり険しかったりすれば、“現在進行”の動的行動そのものは苦労・苦難の連続でしょう。登頂(到着)したことで、達成感、充足感、さらに山頂からの景色が綺麗なものであれば満足感、幸福感なども生じます。
登頂を目指す山登りとは違うトレッキングといわれるものは、山を楽しく歩くこと自体が目的となる行為で「エネルゲイア」的なアクティビティです。
山頂など見晴らしの良い場所を目指すこともありますが、山頂(目的地)の到着を終点にするのではなく、山道を歩き自然を満喫すること、つまり「今を楽しむ」「行為を楽しむ」ということが目的となります。“現在進行”の行為が同時に“完了”となっているわけです。
山を歩きながらすでに充足感、幸福感などを味わっていることでしょう。
グルーチョ・マルクスのコトバ
昨日は死んだ、明日はまだ来ない。僕にあるのはこの1日だけ。だから僕はハッピーに過ごす。
グルーチョ・マルクス[米・コメディアン]
冒頭のグルーチョの語るコトバは正(まさ)しく「エネルゲイア」的なアクティビティです。
“今日の舞台” に存在している自分自身にスポットライトを当ててみれば、昨日の自分や明日の自分には関係がなく、舞台の主人公として「今を楽しむ!」「生きていることを楽しむ!」と伝えているのかもしれません。
明日(未来)のために“今を生きる”のではなく、今があるから“今を生きる”、それも楽しんで“今を生きる”ということをどれだけの人が実践しているのでしょうか!?
それに「今を楽しむ!」…を他の人が短絡的に捉えてしまうと享楽主義と誤認されかねませんので、「今を楽しむ」生き方は意外に難しい社会かもしれません。
「今!」…その瞬間瞬間を「大切に、かつ丁寧に、ムダをなくし、そして真剣に」考え行動していれば、享楽主義ではなく「刹那主義」として捉えてくれるかもしれません。
刹那主義
「刹那」は仏教用語で、時間の長さを表現しています。その時間の目安は75分の1秒という超短い時間。
仏教では輪廻転生が説かれていますが、お釈迦様は弟子たちが自分の前世や来世の心配ばかりするのを憂いて『今この瞬間を大切に生きなさい』と諭しており、つまり『今』『ここ』を生きる思想が今なお引き継がれています。
アドラーの教え
アドラーの教えの中に『人生は連続する刹那』という表現があります。
「刹那」という超短い時間(今)を“点”として捉えた時、人生という時間の流れは“点の集合体”とする考えです。アドラーが“線”という表現をしていないことに注目しました。
過去を忘れることはできないかもしれませんが、失敗や中途半端な行動による反省など、過去に引きずられることは自身にとって良いことだけではありません。
また現実を見ず、現実を受け入れず未来の妄想ばかりして行動に移していないことは、今を真剣に生きていない証明となるでしょう。今を真剣に生きていない場合、それは「人生の最大の嘘」だということを伝えているようです。
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「キーネーシス」と「エネルゲイア」 のバランス
どちらに重きを置くのか…ということになりそうです。
いきなり「エネルゲイア」の考えを取り入れようとしても、目標や目的を重んじる人にとっては「キーネーシス」的な日々から離れられないでしょう。
そもそも、今(今日)の行為が 「やりたいこと」なのか「やらなければならないこと」なのか… 。
「やりたいこと」であれば、“今を楽しむ”ことが出来るでしょう。
「やらなければならないこと」であれば、義務的なものになると言っても過言ではありません。
岸見氏の「嫌われる勇気」に、分かりやすい例えがあります。
登山で考えると、「山頂に辿り着きたい人」にとっては、登山する行為そのものは「やらなければならないこと」になります。
「山登りをしたい」人にとっては、登山する行為そのものが「やりたいこと」=目的であって、登頂することが目的ではないということ。結果的に登頂するということになります。
旅行で考えると、目的地に辿り着くことが目的であるなら、そこまでの経路、手段は「やらなければならないこと」です。
旅自体を楽しみたい人は、その経路、手段を楽しむことができるということです。
「目的」をどう捉えるかということになるのでしょう。
フォーカス(視点)を、「目的地」という未来に自身のいる場所にするのか、今いる場所にするのか。
「人生の目的」や「シゴトの目的」も同様です。
ビジョンや目的、目標があるはずです。
(なければ考えましょう)
その目的地にたどり着くことが大きな目標である時、そのプロセスの中で楽しむことが出来ず、苦しさのままで、ひたすら未来の目的地に向かって進んでいても、その目的地に辿り着くのかどうかも分かりません。
もし、辿り着かなかった場合、苦しさのみが残ります。
プロセスの中で楽しさがあれば、もし目的地に辿り着かなくても、苦しみや後悔はないはずです。
「幸せは未来ではなく、今この瞬間にある。」
ハッピーであるこの瞬間(刹那)の連続性があることで、その期間さらに人生そのものが『ハッピーだった』と言えるのではないでしょうか。
つまり、「幸せは未来ではなく、今この瞬間にある。」という考え方は、エネルゲイア的な思考の持ち主によって実現されます。
瞬間、瞬間、「自分自身に出来ることを真剣に、そして楽しんで行動すること」であるということです。
自身の生活の中で、「キーネーシス」と「エネルゲイア」を適切に、あるいはバランスよく取り入れる(活かしていく)ことがハッピーであるためのポイントだと考えられます。