「質の良い人*」と「質の悪い人*」の格差
『質の良い人生 or 質の悪い(=後悔する)人生』
『質の良い人道 or 質の悪い人道』
『質の良い人格 or 質の悪い人格』
『質の良い人間関係 or 質の悪い人間関係』
『質の良い人□ or 質の悪い人□』
あなたはどちらへ進んでいると思われますか?
この相反する質の違いが、生き方の格差、あり方の格差、歩み方の格差を生じさせていると思いませんか!?
結論的には、人生の質の良し悪しという “結果” を導き出しているのは、自分自身であるということ。
今回は、これらを確立しているだろう思考特性・行動特性‥‥その基本的要素となる「選択」と「決断」という行為について、考えていきます。
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質を左右する選択と決断
あなたは、あなた自身の「選択」や「決断」について、考えたことはありますか?
何を「選択」し、どんな「決断」をしているのでしょうか?
これまでの「選択」は間違っていませんでしたか?
ここまでの「決断」は適切な判断でしたか?
人生の質、人道の質、人格の質、人間関係の質、人□の質‥‥これらの質の良し悪しを左右するのは、社会でもなく両親でもなく、自分自身であるということ。
「変えられるもの」と「変えられないもの」を分別し、「変えられるもの」にフォーカスして質の良さを引き立てるには、自身で行なえる「選択」や「決断」の高度をアップさせること、と考えます。
「決断力のある人」と「決断力のない人」が世の中にいるように、「選択力のある人」と「選択力のない人」がいます。
当方では、「決断力」「選択力」をマインドチェンジするためのファクターと位置付けています。
※「選択」と「決断」を一くくりにして(「決断」を主として)話されることが多いのですが、当方では敢えて別々に捉えています。「選択」は A or B、「決断」は Yes or No 。要するに、「選択」と「決断」は、“目的” や後の “結果” が違うからです。
選択と決断による結果
人生を歩む途中で数多くの「選択と決断」する場面があり、その後に何かしらの “結果” が必ず生じます。
「質の良い人生」であるという “結果”(成果)は、「質の良い選択や決断」をしてきたということ。
「質の悪い人生」という “結果”(成果)は、「質の悪い選択や決断」をしてきたということ、と言えます。
では、「質の悪い人生」とは何でしょうか?
と、考えた時‥‥“私” が死に際に人生を振り返った時に「嫌な人生だった!」を想定してみました。
- 誰かのせいにしている(=自分は悪くない)
- 後悔している(=自分が悪い)
- 来世のことばかり(=自分が嫌い)
これらは、日常の言動で表出されていると思われます。
質の悪い人生とは
誰かのせいにしている生き方
『あいつのせいで俺の人生、めちゃくちゃだ!!』
ここまでいかなくても、似たような生き方をしていれば、良い人生とは言えないでしょう。
親のせい。
兄弟のせい。
祖父母のせい。
会社のせい。
上司のせい。
先輩のせい。
彼氏・彼女のせい。
先生のせい。
友人のせい。
産まれた家系のせい。
故郷のせい。
学校のせい。
教育のせい。
社会のせい。
経済のせい。
政治のせい。
国のせい。
時代のせい。
このようなことが口癖であったり、日頃の考え方にあったりする場合は、「質の悪い人生」につながります。
『私は悪くない!』『自分はもっとできるはずだ!』という極端な思い込みをしている人もいるでしょう。
“理想主義” “自信過剰” “自己中心”……のタイプは、 “自己奉仕バイアス(セルフ・サービングバイアス)” や “コントロール幻想” と呼ばれている帰属エラーの思考因子がネックになっているのでしょう。
自己防衛本能、闘争本能、不快回避欲求などによるものと捉えることもできます。
もう一つ。
結果に対する責任を自分以外に押し付ける傾向がある人は、依存的な「選択と決断」をする習慣がある場合も。
依存的な「選択と決断」とは、
- この人に言われたから
- あの人に勧められたから
- 本に書いてあったから
- 他の人もやっているから
- 皆がやっていることだから
- これが普通だと思ってたから
など。
キッカケはそうだったかもしれません。ただ実際の「選択と決断」は自分自身であったはずですが、そのことは触れません。
例えば、面倒だから “友達に選んでもらう”、自分では決められないから “親に決めてもらう” ……みたいに、自身でその方法を選択・決断したことになるわけですが、そこを省いて、思わしくない “結果” に対し『友達のせい!』『親のせい!』と、責任を転換します。
また、人が行動する際に、思わしくない “結果” の言い訳を決めてスタートすることもあります。うまく言った時は自分の力、悪かった時は他のせいにする、という自己奉仕バイアスによる判定を行動前に準備しているタイプです。準備とは、自身で決めるのではなく、『あなたがそう言うなら、やってみようかな!』的な状況をつくっておくことです。
いくつかの要素がありますが、多くの場合自分自身に問題があります。
知識がないから、調べるのが面倒だから、考えても分からないから、楽な方法で選びたいから、……つまり要因は、
- 無知であること
- 自立心が乏しいこと
- 自律性に欠けていること
などが挙げられます。
先程の例を別の見方で捉えてみます。
例えば、『友達に選んでもらった私がバカだった!』『親に決めてもらった僕が悪い!』というタイプです。
上目線でこのように言う方も一部はいますが、多くの場合、自己卑下的、自己否定的であり、後悔の念を引きづって生きている感があります。
後悔している生き方
『こんなことなら、産まれてこなきゃ良かった!!』
極端かもしれませんが、生きていること自体を後悔している人もいます。
悲観的になり、倦怠(けんたい)感が強くなり、次第に行動を狭め、社会との接触を少なくしていきます。その孤独感は、自信喪失や自己嫌悪の想いを膨らませていきます。
「後悔」することには、「やって後悔」と「やらずに後悔」に分類することができます。
「やって後悔」タイプは、前記した依存的な「選択と決断」による場合と、大して考えず行なった場合です。後者は衝動買い、感情任せ、などが該当します。この際の後悔とは、「反省」「自省」ではなく、過去視点から嘆くことです。
「やらずに後悔」タイプは、行動の目的などが明確でない場合と、想像性の欠如などです。
機会(チャンス)と捉えていないからこそ逃すパターンで、後になって『あの時にやっておけば……』みたいなことが、日常的に起きています。
ビジョンや目的・目標などが明確でないことにより、何をすべきなのかが分からず、判断が遅れたり、判断することを忘れてしまったり(=機会の素通り)します。
「これをやらなかったら、後にどうなるのか?」をイメージ(想像)できないために、後々の “結果” により「後悔する」ことになります。いわゆる『後の祭り』です。
「これはやらなくても支障はない!」という決断で “やらない” 場合とは、全く違います。
楽天家と楽観者
最終的に “後悔する人生” になる可能性があるかも‥‥という将来の “悪い結果” を想像したくないために、『今さえ良ければ(楽しければ)いい!』という選択をしている人もいるでしょう。
確かに「先のことは分からない!」です。
ただ、楽天家と楽観者の違いを理解しなければなりません。感情論と理論、無計画と計画の違いほど差があります。
後者は未来につながる行動が伴っていますが、前者は伴っていません。
前者は「やってもやらなくても一緒!」という抽象的な考え方、後者は「やって駄目なら次!」という柔軟な考え方と行動。そままの違いが露わになります。
来世に期待する生き方
『生まれ変わったら、~になる!』
生きている今の時代ではなく、来世に期待を寄せています。信仰的な意味合いではなく、現世を諦め次世への年が強い場合、良い人生とは言い難いでしょう。
『産まれた時代を間違えた!』『来世はもっとうまくやりたい!』と言う人の背景は様々ですが、本気でそう考え、言葉にし、今の自分自身を受け入れていないとすれば、満足度、幸福度は上がらないのではないでしょうか?
前記した「誰かのせいにする」「後悔する」につながることですが、視点が自分に向けられている場合、『自分が嫌い!』という自己嫌悪、自己否定の想いがあることが要因です。
人の来世というものは不明ですが、その存在があるとしたら前世が既にあるわけです。もし前世でも同じようなことを考えて、現世に生まれたのであれば、来世も同様な道を歩む可能性があります。
つまり、質の良い人生とは、現世は現世で、来世は来世で迎えるしかないように考えます。
習慣化させてしまった選択と決断
「選択と決断」は、時間をかけて悩むほどの重大な岐路のみならず、いくつもの些細な分岐点でも行なっています。
私たちは生きていく上で、日々「選択と決断」を繰り返しています。
意識的、無意識的関係なく、(誰が数えたのかは知りませんが)一日何百回、何千回、何万回と「選択と決断」を行なっていると言われています。
数々の「選択と決断」が人生を左右することになります。
つまり、現在の自分自身(のあり方)は、過去の自分が「選択と決断」した結果である、と言えます。
日常の選択と決断
朝目覚めた時から「選択と決断」を始めているはずです。
例えば、
- 起きようか、もう少し寝ようか
- 朝食は卵焼きにしようか、目玉焼きにしようか
- お茶にしようか、コーヒーにしようか
- ズボンにしようか、スカートにしようか
- シャツは白色にしようか、青色にしようか
- ネクタイはストライプにしようか、無地にしようか
- 靴はハイヒールにしようか、パンプスにしようか
- 靴の色は黒にしようか、ブラウンにしようか
- 電車に乗ろうか、タクシーで行こうか
- ランチはコンビニにしようか、お店で食べようか
- 仕事は資料作成から進めようか、メールチェックしようか
- お客さんのところに行こうか、電話で済ませようか(行くの嫌だなぁ~)
- 報告しようか、やめておこうか
- あの人に声をかけようか、やめておこうか
- 次の日曜にでかけようか、家にいようか
- 仕事(会社)辞めようか、続けようか
‥‥色々な状況下で、何かしらの「選択や決断」の行為をしているわけです。
学生も社会人も多くの方は、日々同じようなことの繰り返しではないでしょうか。
朝起きてから通学・通勤、授業や勤務、それらが終わってから帰宅、それから寝るまで、大して変化のない生活が予想できます。
『8割以上同じことを日々考えて(妄想して)生活している』と言う学者もいるようです。
前記した選択事項例を『毎日何考えてるかなんて、いちいち覚えてないよ!』、と思えるほど、無意識の状態で同じ「選択と決断」を行っているわけです。
つまり、日常生活の中で繰り返される言動についての「選択と決断」を習慣化(=簡素化)させてしまうと言えます。
これは脳の特性です。
思考の特性と習慣
話し方の癖、相槌の癖、食べ方の癖、行動の癖など、人には色々な癖がありますが、考え方・思考にも癖があります。癖ですから、無意識に発動してしまいます。
これを『思考特性』と呼んでいます。
思考特性
※「思考特性」とは・・・
自分の意思決定のベースとなる感情との整合性を評価する「考え方の個性」のことを「思考特性」と定義
(出所:日本思考特性協会より)
日本思考特性協会の解説では、情報を認知した際の『第一感情(考え方の個性)』に該当するものが『思考特性』と位置付けています。
同じ情報を得たとしても、個々人で意思決定と行動が違うのは、『考え方の個性』の違いによるものです。
これは、あの『7つの習慣』にある『主体性モデル』に類似する考え方です。
刺激(外部・内部情報)に対して、個人の『選択の自由』により反応(行動・感情)が生じるというモデルです。『選択の自由』は4つの性質(自覚・想像力・良心・自由意志)があり、これらが個々人で違うというもの。
この4つの性質が「思考特性」に紐づくと考えることができます。
人の「思考特性」は定格化されているようにパターン化させており、同様な反応を示すことになります。
この「思考特性」である考え方の癖を身につけてしまったのが、 “思考習慣” です。
思考習慣
習慣化された無意識による「選択と決断」に対して、正しいのか、正しくないのか‥‥などといちいち考えることも疑うこともなく、人は過ごし続けます。
何かキッカケがあり自省することで変化があるかもしれませんが、変化することを嫌い、昨日までの生活を今日も明日も続けたいと脳が願うのです。
『考えるの面倒だから、これまで通りでいいや!』
まさしく、マンネリ化※した生活の代表例です。
※「マンネリ化」とは・・・
画一的な形式に則ることで目新しさや独自性を失う、または本来の意義が薄れることなどを意味する表現。
(出所:Weblio辞書)
マンネリに陥るなどとも言う。
ホメオスタシス(恒常性)というものの一種で、“安定を好む” 脳の性質です。そして「習慣は記憶と再生によって成立」します。
自分に対して危害のない行動や思考が日々繰り返されることで、“当たり前” として記憶・再生されます。これが習慣です。
けもの道習慣
『けもの道』とは、自然の中で動物たちが往来することでできた道のことですが、ある目的地(餌場、水場、寝床など)へ辿り着くための安全な道を見つけると、本能的に同じ道をたどります。一度でも身の危険を感じると、その道は使いません。
けもの道
アフリカの世界遺産「オカバンゴ・デルタ」の湿地には、カバやゾウたちが繰り返し移動したことで出来た、網目模様の道がある。
ヒト科にもその本能があり、安全・安心・安定の道を見つけ、往来するようになります。
例えば、通勤・通学の経路でも歩く動線、電車やバスの時刻・車両・席、朝食を買うコンビニ、同僚・友達と待ち合わせする場所、エベレーターは右(左)に乗る‥‥などは代表的な習慣です。
往来する道のみならず、朝食する店とメニューが毎日同じ、コンビニで買う飲み物が毎日同じ、ランチタイムは同じ人と一緒に食べる、電車・バス内ではスマホ、トイレは必ず奥(手前)を使う、帰宅路で寄る居酒屋やスナックが同じ、‥‥など、日々反復する言動を習慣化させた事柄は、個人で数多くあると思います。
このように日常生活の中で安全・安心・安定の道を繰り返し、習慣化させてしまうような思考を「けもの道習慣」と名付けました。
依存的思考習慣
考えることが面倒臭いと思う人の中には、他の人に考えてもらう、教えてもらう、指示してもらう、やってもらう‥‥ことが当たり前=依存的 “思考習慣” になっている人もいます。
依存する相手が人ではなく、最近はスマートフォンになっているのも同様です。
目的的思考習慣
別のタイプとして、目的的 “思考習慣” になっている方がいます。
例えば、『余計なことにエネルギーを使いたくない!』という方。
前記した「けもの道習慣」に付け加え、さらに極端なパターンです。例えば、会社へ行く際の服が同じ(=同種同色の服を複数枚揃えている)、靴も同じ(=同種同色の靴を備えている)、など。
‥‥日常生活行為の「選択肢」を省くという効率的な選択を実行し習慣化することで、重要なことに思考エネルギーを注力するスタイルの方です。
自身の活動目的が明確で、『無駄なことに時間を費やしたくない!』という合理的な思考特性は、一般の人とは少し違う習慣を身につけていることが多いようです。例えば、1日1食の生活をしている人、飲食は果物のみという人、など。
自分自身の “思考の特性” を理解しておくことで、今後の対応策が見えてくるかもしれません。
『それも個性よ!』という捉え方はありますが、人のせいにしたり後悔したりする生き方を “個性” と安易に意味付けることは、少々違う気がします。
『昔からそうだった!』という言い訳が通用しない場合もあります。悪い癖・悪い習慣を治す必要性を感じたら、迷わずGoです。
思考習慣の上書き
例えば、
毎晩一時間の使い方として、読書(漫画ではない)する人とゲームする人では、知識の差が生じます。
毎日運動する人としない人の身体能力に差が生じます。
人とのコミュニケーションを頻繁にとる人と避ける人の人脈には差が生じます。
毎日の食事、入浴、歯磨き、睡眠などの生活習慣では健康値に差が生じます。
では、理想と現状の自分自身のあり方の差を見つめ直した時、どんな習慣を変えることで「質の良い人生」になるでしょうか?
自身の「選択と決断」によって人生の質が決まるのですから、「質の良い選択と決断」を行なうためには、「質のよい思考」を習慣化させることが効率的であり効果的です。
習慣化させてしまった質の悪いものは、質の良い習慣によって “上書き” することが可能です。“上書き” という表現にしたのは、一度記憶された習慣的なことは消去されません。例えば、愛煙者が禁煙をして数年経った後に、再び喫煙し始めるのは、快楽として記録されているからです。スリや万引き犯は出所した後に再犯するのは、快感として記録されているからです。
自らの望む理想のライフスタイルに近づけるためには、質の良い思考習慣を上書きしていく記憶と再生が必要となります。
行動習慣は数週間から数ヶ月で上書きされますが、思考習慣の上書きには半年かかると言われています。
内容や個人差で違うでしょうが、半年間努力すれば残りの人生を良いものにすることができるなら、御の字ではないでしょうか?
理性と知性を備えた人間だからこそ、できる技と言えます。
自らが責任を負う
キッカケは周囲からであっても自身が行なった「選択と決断」による “結果” に対して、責任を負い、次の行動に移せることが大切です。
選択肢がない時は、選択肢となるものを自ら探して調べて、よりベストのに近い選択を行ないます。
決断に踏み切れない時は、さらに情報など判定材料を仕入れて、目的に沿って決断します。
自立・自律した「選択と決断」をすることができるのか、がポイントになります。
“良い結果” に近づけるように、どう行動(活動)してきたかということ。それによって捉え方に違いが生じます。
最良の「選択」をするために、“選択肢” を増やすスキルと知識があることは、正しくプラスになるでしょう。
「必死に生きる」
「必死に生きる」というコトバを聞いたことはありますか?
漢字で見ると、「必死=必ず死ぬ」です。
『人は必ず死ぬんだから、それを前提として生きよう!』ということでしょうか。『どうせなら、楽しくのんびりやろうぜ!』という人もいるでしょう。
「必死に生きる」‥‥人は、どんな思いと覚悟で生きているのでしょうか。
「必死に生きる」とは、生死を絡めて言うのではなく、活きた人生を歩むか、死んだような人生を歩むか、と考えてみた方が良さそうです。
では、自分にとって質の良い活きた人生を歩むためには、どんな「選択と決断」をすれば良いのでしょうか!?
時には海を見ながら、山を眺めながら、今の自身の歩みを客観的に考えてみるのもいいのではないでしょうか。